ヒロリン雑学ブログ

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富野由悠季というアニメ監督

富野由悠季というアニメ監督

この人の作るアニメって…

どうして、こうも目の付け所が違うのだろうか?
現在過去アニメの【機動戦士Vガンダム】を観なおしているのだけど、1993年のアニメなのに。

終盤に入って、残りはあと5話。
ってところで、「闘争本能を失った人は、一体どうなってしまうとお考えか…?」的なセリフが…(いつもの如く、一言一句、間違わないで憶えてはいないので…)

私が、これを考え始めたのは、ほんの5~6年くらい前からで…。
ペリー・ローダンシリーズ】といい、私は常に誰かの後塵をおしている。
相手が年上の人なので、仕方がないといえば言えるのだけれど、それにしても早すぎるだろう?
1993年頃には、もう現代社会の歪みみたいなものを感じ取っていたのだろうか?

今、世間を騒がせているニュースに登場する【若い世代】の親とか本当にまだ学生だったりする子が起こす【暴力事件】は【闘争本能】とは全く違う。
単純に【我慢できず】に【自制が利かない】子達が起こしている。

今の世界の【おかしなところ】は、まさに【闘争本能】をどこに置いてきた?と、問いかけたくなるようなところにある。
SNS上での【炎上騒ぎ】は置いといて、若い世代は一様に【言葉遣い(づかい)】がおかしい。
変に【くそ丁寧(ていねい)】な書き方や話し方をする。

例えば【交通事故】の被害者だったり、誰かのいたずらで車を傷つけられたり、自転車を盗まれたりしても、変に丁寧な語り口調で、インタビューに答えているのをニュースでは、よく見かける。
「貴方は被害者なんだから、もっと怒りを面(おもて)に出していいんだよ」と思いながら、ニュースを見ている。

でも、その一方では信じられないような【責任逃れ(のがれ)】をしたりもする。
人の車に【後方】から、ぶつけておいて(俗にいうおカマを掘る行為)他の車の迷惑にならないように端っこに寄せて停車したら、そのままトンズラしたり…(された事があるのですよ。相手は若い女子ですた)
もっとも【ぶつけておいて逃げる】っていうのは、現在では【全ての世代】の共通項になっているけど…。

とにもかくにも、普通に言う【闘争本能】があるから、人は【進歩】する事が出来る。
陸上競技でもサッカーの試合でも、負けて悔しいから【次は勝つ】という【モチベーション】につながって、成長する事が出来る。
これが【闘争本能】の一端(いったん)になる。

さっき書いた【我慢ができない】や【自制が利かない】というのは、【怒られていない】からだろう。
【公共の場】では、腹を立てながらも【我慢】しなければいけない場面というものはある。
でも【我慢をする】という【教育】を受けていないから、それができない。
こうなると【体罰禁止】にした時の【政府】や【教育関係者】の責任は重い。

ずっと言いたい事の根本は【余計な世話】であることに気づかないまま、他人に「気をつけましょう」という輩(やから)の事だ。
一番に挙がるのが、【医者】という職業の人達だ。

最近、寒くなって来たので、今日もテレビで【したり顔】で話している【医者】を見た。
「お風呂に入る時には【ヒートショック】に気をつけましょう」
確かに【気をつけた方がいい】事ではあるが、そうした【情報】を受け取った人達は【要らぬ心配】や【用心】をする。
不自然に【用心深く】なって【臆病(おくびょう)】にもなる。

これは、見方と言い方を変えれば【人を弱くする行為】になる。
でも、そんな事に気がつく人はいない。というか、いないに等しい。
本来の【医者の仕事】は【病気になったり】【ケガをしたり】して困った人を助ける事なのに、今は【お金儲け】のことしか考えていない医者が増えた。
予防医学】という言葉を作って、こうなったら、この病気が潜んでいるかもしれません。と言って患者を不安にさせている。
それで病院に通わせている。

お給料で雇われている【総合病院】とかの医師はどうだか知らないけれど、【開業医】と言われる【個人病院】では、露骨に表れてる。
【コロナ】では、だいぶ稼いだと思う。
政府が【データの一元(いちげん)管理】が早めに対処できる方法だからと推奨するものだから【町医者】は喜んだ。

だって、【政府】のお達しなのだから、デカい面して患者に言う。
「基幹病院を作らなければいけなくなったんですよ、だから、ここがあなたの基幹病院になります」
「コロナワクチンもここで打ちましょうね」
実際に私は言われてしまった。
それでなくても【不必要】な【血液検査】を毎月される。

その結果は【1か月後】の通院した時に教えてくれる。
1カ月も前の検査結果を教えてもらって、なんになるのだろうか?
だから医者は言う「1カ月の間に変化があっては大変だから、今月も血液検査」しましょう」
つまり、もう役に立たない検査結果を【1か月後】に教えて、更に血液検査をして毎月【通院】させるように仕向けている。

私の場合は、途中から【調子が良く】なったから自己判断で【薬】を飲まなくした。
だからといって、他の人に【推奨】はしない。
あくまでも【生きてきた経験】に基づいた【自己判断】だから。になるから。
ただ、それでも辛抱して、それから数カ月間は医者の言うままに【血液検査】は受けた。
その数カ月間で【異常】だと言われた事がなかったから、今度は【病院そのもの】に行かなくなった。
あまり、周りを信用しすぎるのも考え者なんじゃないかな?という【問題提起】程度に読んでもらえたら、いいかな?

結局は【私見】だけど、【効率】ばかりを追い求めていたら、そこに【心】はない(と思えるので)ので、人類は【自滅】する【危険性】をはらんでいると思っている。
便利ばかりを追求していいと言えたのは、その昔。
まだ【夢見がち】だった幼い人類の時の話だと思う。