ヒロリン雑学ブログ

時事ネタや歴史、漫画アニメネタの雑学ブログです。

戦争は何故、なくならないのか?

戦争は何故、なくならないのか?

簡潔(かんけつ)に言えば【人】がいるから

ロシア対ウクライナだけじゃなく、【戦争】という規模ではないけれど人と人が殺し合う【紛争地帯】というものは随分と前から無数にある。
なのに、何故?ロシア対ウクライナ戦ばかりに焦点を当てて各国が報道しているのかが、わからない。
ウクライナが攻撃を受けると「民間人の犠牲者が○○人」と、詳細に伝えるのに、それよりも以前からの紛争地帯というものには、あまりにも無関心だ。

それらの紛争地帯でも【戦闘に巻き込まれた】【民間人】はいっぱいいる。

中学1年生の時に【宇宙戦艦ヤマト】のテレビシリーズが放送された。
面白かった。
中学2年生になっていたある日、ふと疑問に思って【不満】を覚えたのは【地球の存亡をかけた】戦いに赴く(おもむく)宇宙戦艦の乗組員なのに、「なんで日本人だけなの?」という事だった。
もっと【国際色豊か】でも良かったんじゃないか?
素朴な疑問。

当時は【米ソ冷戦時代】の真っ只中で、ある程度の緊張感は存在していた。
アメリカとソ連だって、第二次世界大戦中は、ナチスドイツを共通の敵として一緒に戦っていたのにな?」
という事を考えた時に「そうか、【共通の敵】がいれば地球は一つにまとまる事が出来るんだ」という事を思いついた。
「俺はひょっとしたら天才か?」とか思ったりもした幼い頃の私だった。

成人してからの後に、【ペリー・ローダンシリーズ】を読んで愕然としましたが…。
同じような事を考えて、それを小説にしている人がいる(正しくは、リレー形式の小説なので【人達が】になります)
しかも書かれたのは1961年。
私が生まれた年だ。
そんなに早くから【平和】を考えて、それを【スペース・オペラ】に仕立てて小説が書かれていたとは…。

ただ、こうした考えも今年始まった【ロシア対ウクライナ戦】を目の当たりにして、結局「人は人である以上、戦争はなくならない」という考えに変わった。
人に限らず、あらゆる生命体には【生存本能】があって、それを支えているのは【闘争本能】というものだ。
それなしでは【種の保存】はおぼつかない。
無数の精子が、たった一つの卵子に向かっての競争が【新しい命】の誕生の始まりを支える。

この時に、全部が「いいや、先に行ってぇ~」とかになって、競争しなくなると新しい命は生まれない。
【闘争本能】は【他者との競争】の為にあるんじゃないのか?
例えば、運動会でかけっこをして今年はビリになってしまった。
この時に【悔しい】と思う気持ちが【闘争本能】だろう。
悔しかったら、来年は1番になるんだという【モチベーション】が生まれて【努力】する。子もいるだろう。
現代社会というものは【みんな等しく平等に】というものが歪んでしまっているので、そうした子は減ったかもしれない。

だから、いくら表面的に【紳士ぶって】はいても心の底での【歪んだ闘争本能】がネット社会での【陰湿な苛め】の温床になっているのではないか?
これは【国単位】ではなく【個々人】の話になるけれど…。
【争ってはいけない】【暴力はいけない】と言いながら、誰かが何かで【失言】したりすると、寄ってたかって【袋叩き】の目に合わせる。
いわゆる【炎上騒ぎ】となるのだけれども、これだって立派な【言葉の暴力】になるんだという事には、あまり気がつかないみたいだ。

そうした行為によって、誰かが【自ら命を絶つ】という事を【繰り返して】いても、新しい獲物を見つけたら同じ事を何度も繰り返す。
愚かなネット上の愚民。

だから、人はある意味、【争うべき相手】を探している。
昔から、よく「何故、戦争をやめる事が出来ないのか?」「地球人というのは【野蛮】な愚か者だ」とかいうセリフをアニメや漫画の中で見かけていたけど、それは【人間の持つ業】だからだ。

現代社会は歪んでいる。
アメリカの俳優の【ウイル・スミス】が【アカデミー賞】の会場で【妻を侮辱されたから】という理由で、司会者に平手打ちをしたら、暴力だという事で大炎上した。
【侮辱】された【人の尊厳】よりも【平手打ち】という行為自体が取り上げられる事は、異常じゃないか?

現在60歳のおじさんはそう考える。