マルハラとかいうモノ
【マルハラ】とかいうモノを知ったのは、今となってはかなり前になる(感覚的に)
なんでも【句点(文末に就く【。】のこと)】が、Lineで使われていると「あれ?これって怒っているのかな?」という具合に今時の若者は【感じる】らしい。
最初にニュースで見た時には「最近の子は本を読まないんだなぁ(読書をしないんだなぁ)」と思った。
【小説】でも【レクチャー本】でも、【活字】を読むという習慣があれば【句点】なんかは「この文章はここまでで一区切りですよぅ」っていう意味合いなのは【アホ】でもわかる。
そうしたものに【慣れて】いれば、単なる【記号】なのだから、何も小難しく考える必要はないのだから、何の問題もない。
【本を読まない】から、そうした当たり前のこともわからない。
いってしまえば【変に邪推】して【勝手に溝】を作ってしまう。
なのだけれど、今の世の中はおかしいから、そういう【未熟】な【世代】の声ばかりを【あたかも】重要な事ののようにテレビは伝える。
一般常識なのは、どこかに消えてしまい、そうしたものを使う【先輩世代】が悪いように伝える。
【Line】なのだから、友達同士のやり取りで【意味】よりも【スピード重視】で【要らないものを省く】というのは、ありなんだろう。
という事は、想像ができるのだけれども、【自分達だけ】のごくごく【狭い】【コミュニティ】の中の【常識】を一般社会に当て嵌めて、「これが今の若者の文化なのだから」として「年長者ってバカなんじゃない?」のように扱われるのは、どうかな?と思う。
【友達同士】とか【同年代】の間のやり取りは【好き】にしていいと思っているけど、【年長者】との【やり取り】の中に【一方的】に自分達の意見だけを言ってしまう。というのは、多分テレビの取り上げ方にも問題はあると思うけど、おかしいし、未熟が過ぎる。
【TPO】という言葉を知らないのだろうか?
簡単に言えば「その時々で使い分ける」という事ができないのだろうか?
でも、そんな人達でも【ファミレス】なら【カジュアル】な格好でよいけれど【高級レストラン】なら【フォーマル】でなければ入れない。
という事は知っているだろうし、そこはちゃんと【使い分けられる】はずだろうと思う。
哀しいのは【Line】では【原語】で【コミュニケーション】がとられるのに、【母国語】の日本語が【通用】しまくなってきている。という現状。
日本人は、大学のように分けると【文系】の【文化】を築いてきた【情緒】とか【上巻】が溢れている筈なのに…。
この点については【欧米】よりも【数段】も【格上】だと思っているのに、どんどんと【欧米至上主義】というものが【増殖】して【浸透】してきて【日本人】が古くから持つ【文化】が潰えようとしている。
という具合にしか考えられない。
ので、【それは哀しい】という事になる。
今の世の中は【世界中】が、おかしなことになっている。
変に【物わかり】が良くて【不必要】なほど【弱者に優しくあるべき】というものが浸透している。
その反面、「あー、やかましい。うるせい」となったら【親】だろうが【子供】だろうが【躊躇】なく、殺してしまえるような【犯罪】も増えている。
【物わかり】の良すぎる【社会】なのに、【自己中心的】な考え方が【蔓延】しているようにも思える。
とはいえ、こうした【流れ】が世界中で出来上がってしまっている以上、もう【修正】はできないだろうしなぁ。
結局は【個々の心の持ち方】になってしまうのだろうなぁ?