ヒロリン雑学ブログ

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読書のすゝめ ~君は時代を読めているか?~

読書のすゝめ ~君は時代を読めているか?~

本を読むという事

元々は「アナタの読書って、それでいいの?」っていう素朴な疑問で書き始めたのですが、幸か不幸か現代にはTwitterというツールが存在する。 そのタイムラインを見ていると、かなりの人が誤字、脱字に表現がおかしかったりするので、割とネタには困らないなと…(^^;) という事で、今回はそうした文化崩壊ともいえる現状に警鐘を鳴らすために記事を書いてみたいと思います。

まず、バックグラウンドが非常に重要になってくると思うので、そちらから攻めていきますと、現代は非常に性急な回答が求められている時代だと思うのです。 なので、皆さんの心には余裕がない。 とりあえず、最初の頃っていうのは私の考えでは現在の50歳以下の世代は甘やかされて育った世代なので、ダメなのだと思っていたのですが、まあ、それも一つの要因ではあるのですが、とにかく急ぐ。 過程はいいから結果を出したい。という思いが強すぎるのか?という事は、ひとまず置いておいてですね。

とにかく早く結果を出すために辟易(へきえき)しているのは事実で、それがために社会人が勤まらなかったり、入って2~3日で会社を辞めたり。 中には「石の上にも3年って考え方が古い」とか言ってる人もいるくらいだ。 しかし、ちょっと話はズレるけどね。入ったばかりの新入社員がすぐに、即実戦という事で使われないからと不満を述べて会社を辞めてしまうという事は、どうなんだろう? 同じ仕事だとか業種とかいっても、それぞれの会社でアプローチの仕方は変わってくるんだよね。そういうの認識しているのかな? つまり、入ってたったの数日間じゃ、その会社のやり方の土台を学び取ることはできない。っていう事なんだよね。 ここまでは、いいかな?

その会社独自のスタイルを学ばない事には実戦投入なんて無理っていう事なんだよね。 なのに、たった数日間でやりたいことをやらせてもらえないって不平を述べるのは大きな間違いだ。 だって、その新入社員はその会社の顔として対外的な折衝などをするのだよ。 なのに、正しい社会人マナーも学ばずに表に出して、先方に失礼があったらどうするのよ? それで、もし今まで長い間をかけて築き上げた信頼関係が崩れて取引しない。と言われたら会社としてはすごい損失につながるんだよね? だけど、新人さんは世間を知らなくて、すぐにビッグプロジェクトに参加できると勝手に思い込んで、それが叶わないとなると自分のイメージとは違うとか、言って会社を去っていくのだが、責任感とか自分の存在や意見にはその実自信がないから、自分で「辞めます」が言えなくてそういったサービス会社の餌食にって、高いお金を払う。

ちょっと遠回りしたように見えるけど、実際はこれも性急に堪えを求めているという事に通じるんじゃないかな? だから読書方法も変わってくる。 複数冊の本を並行読みをして、読み終わると「面白かった」で、また他の本を数冊並行読みをしたり、それから本なんてまともに読む必要なし。というスタンスで、とにかくパラパラっと本をめくってその中で重要と思えるところだけを抽出してメモるか、アンダーラインとかを引く(しかし、アンダーラインは引かないかな?アンダーラインを引いたら売りに行けないもんね)。 でもね。それで心の中に何が残る? 人の心のひだに触れることができる?文章からそれ以上の作者の意図を読み取ることはできる?何故、作者はここで、こんな表現方法をとったのだろうか?と作者の思惟を読み取ることはできるのかな?

だから今の若い人達は自分勝手な思い込みで、表層的にしか読書ができないんじゃないのか? 最近Twitterで見て、心に残ったのは、「龍馬語録」を読んで、そのまま額面通りに受け止めて、その上、自分の主張と似通っているとしている人のツイートを見た。 簡単に解説すると、99人が善行をなうのであれば、我1人は悪行を成せ。という思想のもとに、他の人と同じことをしていてはいけないのだ。という理念を書き記している。 これを読んで、さすがは龍馬だ、考えていることが一般とは違う。と思ったのなら早計である。 何故、坂本龍馬はこんな事を書き残したのか?そこのところを探ってみようか? 答えは、龍馬はそこに記されているような人でもなければ思想も持っていない。

だから、それを書き残す事で、自分の理想実現のための発奮材料とした。恐らくこれが正しい。 何故、龍馬が幕末期から現代にいたるまで、ここまで名を馳せることができたのか? それは龍馬が素直で探求心が強かったからであり、その人柄を見込んだ勝海舟の後押しがあればこそである。 もちろん、明治維新に向かう時代の気運というモノも坂本龍馬という人間の後押しをしてはいた。 しかし、それらの全ては勝海舟という男に気に入られたがためだった。

何故言い切れるのか?それは龍馬の人脈にもよる。 龍馬の人脈というモノの大半は、勝海舟による紹介があればこそである。 たかが、一般の脱藩浪人である龍馬が大きな藩の重役などの覚えめでたき男になりえたのは、全て勝海舟のお膳立てによる。 でなければ、一介の浪人風情が幕府の運営する海軍操練所に入ることなど不可能である。 そこで龍馬が学んだのは、大型汽船の操船術だけではなく、国際法であったり、およそ船の運営にかかわる相当数なものを手に入れたのである。

さて、ここで問題なのは、私はこれらの知識をどこで手に入れたのか?という事に話を持っていく(笑)。 私が、司馬遼太郎氏の書いた「龍馬がゆく」を読んだのは18~19歳にかけての事のであるが、私は、先に書いた「明治維新の真実」についても、この坂本龍馬のくだりについても、何も見ずに書いているし、事前にそれらの史実に基づいた本も読んではいない。 これが本を読み込む。本を読むことの大義であろうと、私は思っている。

一度手に入れた知識は無くなりはしないというけれど、上っ面だけを舐めるような読書方法で、それらの知識は本当に心に残るのか? 言い方を変えればそれらの知識は、頭に残るのか? 大学受験と似たような覚え方では、大学受験と同じで、入学したらそれらの知識は消えてしまうのではなかろうかと、危惧している。 しかしながら、現代人は性急に答えを求める傾向にある。心に余裕がない上に非常に狭い視野の中で動いている。 もっと多角的というか多面的に物事を見る癖だけは付けておいた方がいいと思うのは、私の老婆心。もとい老害なのだろうか?

この本はお勧めになります。司馬遼太郎氏の作品には悪役は出てきません。そして、このシリーズでは、司馬遼太郎氏がご自身で後書きを書いています。 そこも含めて、余すところなく読むことをお勧めします。恐らく本の読み方だけではなく、物事の見方も変わってくると思います。