ヒロリン雑学ブログ

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不老不死というもの

不老不死というもの

それはもう、遥かな昔から【SF小説】や【マンガ】【アニメ】などで取り上げられてきたテーマだけれど…。
あまり深く考えずにのほほ~んと読んだり見ていたりした。
ちょっと考え方が変わったのは、去年の中頃に録画するだけ録画して、そこで安心してしまったのか?
見ていなかった【アニメ・銀魂】の第3期以降を見てからだった。

このアニメを最後まで見て、やっと【ラスボス】が誰なのか。
どういう存在であったのか。
というものがわかって、更に面白さは高まった(私の中で)
早い話が、このラスボスが【不老不死】という存在だったのだけど…。

そのセリフの中に「終わりのない【生】は、果たして生きているといえるのでしょうか?」というニュアンスのものがある。
ハッとしたのは、それは確かにそうだよねぇ。
という変な説得力。

【自分】だけが【不老不死】となっても、周りの親しい人がみんな死んでいったら寂しいと思う。
一人だけが【取り残されて】行くという感覚は、考えれば寂しいし哀しい。

確か、昨年末くらいに【日本最高齢】の【お婆さん】が亡くなった。というニュースがあった。
そこまで長生きしたのは凄い事だし、その為のサポートしてきた子供や孫たちも大したものだと関心はした。
けれど、100歳を超えているので、いちいち子供や孫の手を借りなければ多分、何もできない。
トイレや食事も人の手を借りなければできない。

お風呂なんかだと、もっと大変だろうなぁ。と思う。
自分の意思で【好きなところ】にも行けない。
【好きな事】もできない。
となったら、私にはつまらないだろうな。と思う。
というよりも気を使う方なので他の人に迷惑をかけるというのが、やりづらい。
このお婆さんは、まだ元気そうだったけど、それでも【介助】なしには生活できないというのは画面を通しても、よくわかった。

テレビでよく使われる【人生100年時代】
年齢だけ【100歳】を超える人が増えても【寝たきり】になっていたり、【身体機能】の低下は、致し方のないところなので、これは困ったね。という事に気がついた。
若い頃のような【楽しみ】もなく、ただベッドに寝転がっているだけの人生なんて、私は嫌だ。
もう少し適当な年齢で人生が終われたら、それが一番だよね。

と、思い始めた今年でありました。