ヒロリン雑学ブログ

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心に傷を負った人は

心に傷を負った人は

その傷は見えないものの、そうなるまでに要した時間の長さによって、目に見える身体の方に【何らかの異常】が現れる。
最近、ブログでも紹介した【YouTube】で知った【聴くマーフィーの法則】にも表現方法は違うけど、同じような事を言っているものが多数ある。

だけど、それ以前に私の生まれ育った【家族】の中に、それを体現している人はいた。
【3歳年上】の私の姉である。
姉は小さい頃から「まあ、本当にお父さんに似てかわいい子じゃなぁ(岡山弁)」と言われるくらい顔立ちから何からよく似ていた。(ちなみに父方の親族は顔立ち的には整っている人が多い)

私が結婚をして、長男と次男が小学校に入学してから後に、【発達障害】という言葉を知った。
嫁さん(正しくは元嫁さんだけど)が学校で聞いてきて、その話を聞かされた時に、その特徴が姉や父親の【言動】に「当て嵌まる部分が沢山ある」と思った。
思ったけれど「そういう事なら…」と腑に落ちた感もあった。

父親は戦争前に生まれているので、大家族だった。
男兄弟が5人、女兄弟が3人。
お婆ちゃんは、8人の子持ちだったことになるんだけれど…。
お兄ちゃん2人は【戦死】していて、3男は確か【病死】していると聞いた。
で、その次の男の子は父親だったのだが、なぜか父親のお姉さんにあたる【次女】のおばさんが【家督】を継いでいた。

家は、母親が【4人姉妹】の末っ子で、上3人がケツをまくって逃げて【家督】を押し付けられていたから、父親が【婿養子】に入った。ものだと思っていたけど…。
よく考えたら、その家の従姉弟は【私よりも2歳年上】の【お兄ちゃん】と同い年の女の子がいたので、父親の結婚など待たずに、おばさんが家督を継いでいたらしい。

姉の年齢でも、その時には【発達障害】なんていう言葉もなかったし、【概念】すらなかった時代なので、親である父親の時代は【言うに及ばず】というところだよね。
「ちょっとトロい子」とか「普通と違う頼りない子」で扱われて育ったんだろうとは思う。
父親の場合は、親(お婆ちゃん)が子供に甘々だったので、良かったのだろうけど、姉貴の場合、母親が先に書いた通り4人姉妹の末っ子で3人の姉の言う通りにしないとボロクソに言われるから。というプレッシャーのせいだろうとは思うけど【情緒不安定】で、非常に【ヒステリック】な人だった。という不幸があった。

「なんでお前は他の子ができる事ができんのなら(岡山弁)」という事で、叱られる。
見え透いた【言い訳】をして叱られる。
食べる事や、他のことでも「遅い」と言って叱られる。
口で𠮟るだけじゃない。
物を持って殴りつける。
昔は部屋の掃除も、柄の長い室内箒で掃いて掃除をしていたので、その柄の部分で叩く。

室内箒の柄は、基本的に竹でできているので、いってしまえば【棒】である。
痛い。
実際に私も小学3年生までは、同じように叩かれていた。
私が叩かれなくなった理由は、たまたま叩きに来た棒を掴む事ができて、「手を離したら、また痛い目に合う」という事で必死で握ってしまっていたから、母親が根負けをして叩かれなくなっただけである。

そうして小さい頃から、今なら【虐待】として逮捕されるような事を何年にもわたって受け続けた姉は、小学校の中学年くらいから、目が悪くなっていった。
当時、精神的な【ストレス】で病気になるなんて事は【想像】もつかない時代だったので、当たり前のように、そこは慌てて【眼科】に連れて行った母親だったけど、【原因】がわからない。
その頃は医者だって、精神面が病気のもと。なんていう事はわかっていなかったんじゃないか?

そこから姉貴は小中高校と、今度は同級生からもいじめを受ける事になった。
なにしろ、最初は眼鏡だったので、片方のレンズだけ異様に分厚い。
俗にいう【牛乳瓶の底】のようなメガだった。
そこは年頃の女の子という事で、親も【見栄え】が少しでも良くなるようにと【コンタクトレンズ】を選択したのだけれど、姉貴は異常なまでの【おんびんたれ(岡山弁:ビビりのこと)】だったのに、コンタクトだけは入れられるようになった。

よほどそれまでの眼鏡が嫌だったんだろうな。という事は雄増に難くない。

というくらい、ストレスというものは身体に対しても、大きく影響を及ぼすものだから、【嫌な事】はできるだけ早く忘れてしまった方がいい。
最近【聴くマーフィーの法則】を聞き始めてからは、出来るだけ【ポジティブ】な表現で【上書き】して忘れた方がいいよ。
と思い出した。
ただ、忘れるだけでは【大切な事】も忘れる癖がついてしまうから…←経験者(;^_^A