ヒロリン雑学ブログ

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壊滅的な方向音痴

壊滅的な方向音痴

なので、車を運転する時にはポータブルのカーナビは欠かせない必需品になります。
昨年の春先だったか、初夏の頃か?
それまで使っていたカーナビのマップが古くなって、行きたいところの住所を入力しようにも、番地がなかったりしたので、新しい物を買いました。
…が…。

それで済めば、単なる地理不案内とか方向音痴で片付きます。
私の場合はカーナビを使っているにもかかわらず、道を間違えてしまうという【壊滅的な】方向音痴になる訳でよ。←威張れないって(^_^;)

昨日は、この3月で高校を卒業する二男が、仕事の関係上【原付二種】の免許がいるという事で、教習所まで乗せていったのですが、岡山の教習所ってなんであんなにも辺鄙(へんぴ)な場所にあるのだろうか?
私は元々が倉敷で生まれ育ってきた人間なので、早い話が岡山は全般的に地理不案内な場所が多い。

倉敷の教習所は、割と街中にあって車で行ってもわかりやすいし、教習所への出入りも広くて入りやすいのに、岡山の教習所の場所は道は狭いは曲がりくねっているはで、まあ行きにくい。
しかも場所が把握できないものだから、時間に間に合うのかどうかさえもわからないまま運転しているという…。

それでも、なんとか行けたし心療内科の頓服薬も飲まなかったので、パニック障害に関してはだいぶ良くなっているんだろうという確信が持てたのだけれど。

しかしまあ、地元の人達には良く知った道なのだろうから、地元の常識というものがあって、それを知らない私は、必要のないところで左折を余儀なくされたり。
それでもカーナビは進路が変更されたら、それに似合う道を示してくれるので、そこは助かったのですが、とにかくカーナビが示している右折や左折の場所よりも早く曲がったり、通り越して曲がったりと紆余曲折を経てしまうという愚行を犯してしまうという、壊滅黄な方向音痴ぶりは昨日も遺憾なく発揮されてしまいましたね。

というか、これって単にカーナビの地図の見方が下手なだけでは?
という事も感じ始めている昨今。
という事なら、母親がせっかちなイラチだったから不必要に焦ってしまう性格になっていたんじゃないかな?と、これも最近になって感じているところなんですが。

という事で、二男は教習所で3時間ほど講義やいろいろなもので過ごすということが分かったので、一旦嫁さんの家に帰ってから、また迎えに来ようという事になって、結果2往復です。
送った時のことがあったので、迎えに行く時の教習所までの道のりは良かったのですが(一度通ったから)、送った時の帰り道も道を間違えていたので、迎えに行った時の帰り道。
また道を間違えるという失態。

この次に教習所まで送り迎えをする事があったら、今度は大丈夫だとは思うのですけどね。
免許を取ってから40年以上。
カーナビがなかった時代は、どうやって運転していたのだろうか?
と思い返してみたら、当時はカー用品店でも売られていた【道路地図長】というものを買って、父親に助手席に座ってもらってナビをしてもらっていたなぁ。と思いだした。

よくわからないが小型自動二輪(二男の言う原付二種)の免許して持っていなかった筈なのに、父親は割と道に詳しかった。
ちなみに嫁さんと結婚してからは、嫁さんは岡山育ちだったので、岡山市内なら嫁さんに道を聞きながら走っていた(今もそうだけど)。
ひとりでは、道がわからないというお粗末さ。
カーナビは手離せないけど、しっかりと地図を確認しなくちゃね。と思った昨日。

ちなみに嫁さんも、なんの免許も持っていないのに、道には詳しい。
義父がドライブが好きだったらしく、それでかなり道を憶えたと言っている。
だけど、商業施設などの駐車場のどこに車を止めたか、というのは憶えていないことが多かった。
やはり人間には一長一短があるのだね。

ちなみに、道に迷う癖のある私だけど、運転技術にはある程度の自信がある。
最近のドライバーのように、自分の車の左端の限界がわからなくて、狭い道でも道路の中央によってしか走れない子達とは違うのだけれど、そういった子の方が傍若無人に「お前下がらんかい」と言ってくる。
ちゃんと車一台が通れるだけの幅はあけて、端っこに寄っているのにだ。

岡山のドライバーだけなのか、それとも全国的にこういった人達が増えているのかは知らないけど。
岡山のドライバーは無茶な運転をするというのは、既に全国的に知られている筈だよね。
岡山県人の県民性は若い頃から嫌いなんだけどね。