ヒロリン雑学ブログ

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色んなアニメその2

色んなアニメその2

スクライド

このアニメの中のキャラクターで、私が好きなのは【カズマ】である。 【ネイティブアルター】であり、どんな組織にも属(ぞく)さない。 金さえ積まれたら、どんな汚い【仕事】でも引き受ける【シェルブリット】の【カズマ】

と、自分では言っているけれど、その実【仲間思い】の人間です。 自分は強い。 【特殊能力(アルター)】を持っているから。 そのことを、よく知っているから【自分の周り】の弱い人間は【守る】 自分の身がどうなっても、命を懸けて(かけて)守る。 その【信念】がいい。

そして、決して【後ろ】には下がらない道を選ぶ。 【カズマ】は言う「諦める(あきらめる)方向には行きたくない」 それが良い。 今の時代、【現代社会】というものは、【合言葉】は【時短・簡単・便利】だけど、それでは人が【本来持っている】能力が【退化】してしまう。 【時短・簡単・便利】は、確かに【昔】のような【苦労】をしなくていい。 例えば掃除(そうじ)ひとつをとっても、【腰を曲げない】【力が要(い)らない】 そんな【便利な商品】がドンドコ開発されて、早朝の【通販番組】などで紹介されている。

例えば、高齢者(こうれいしゃ)が【膝(ひざ)が痛くなった】からといって、【子供世代】が【電動四輪車】をプレゼントしてしまう。 これは、【高齢者】をいたわっているようで、実は【真反対】の事をしているのだという事に気がついていない。 【痛くても】治療(ちりょう)をしながら【自分の足】で歩く。 それが、とても【大事】な事なのだ。 それをしないから、【高齢者】は頼って(たよって)しまう。 それは、時に【人】であったり、時に【便利な商品】に寄(よ)りかかってしまう。

【昔の老人】のような【厳格(げんかく)】人々は【消えて】しまい、すぐに【他者に頼る】【覚悟】のない老人達が【量産】されてしまう。 だからこそ、【池袋の速度超過(ちょうか)事故】のような事故が起こる。 また、【高齢者】による【ブレーキとアクセル】の踏み間違いによる【店舗(てんぽ)突っ込み事故】も増える。

私も【数十年前】の幼い【子供の頃】には【自動車】は空を飛んで、なんでも【人間】の代わりに【ロボット】がやってくれる楽しい【未来】を想像していた。 しかし、それは【重大な過ち(あやまち)】であることに、この2年程(ほど)の【コロナ禍】と【温暖化】の本格化が進んでいる【事実】に気がついた。 【時短・簡単・便利】な世界は【人間を堕落させる】世界であるという事に。 その良い【証拠】が、【交通事故の増加】に【象徴】されると思う。 少し前までは、【高齢者】が【コンビニ】に【突っ込む事故】が多かったが、今では【若年層】でも【ペダルの踏み間違い】で突っ込んでいる。 【高齢者】は、まだ「ボケてるし、反射神経が鈍い(にぶい)から」で【納得できる】部分もあるけれど、【若年層】はボケてもいないし、反射神経も良いはずだ。 それなのに何故?【若年層】の【高齢者】と同じような【事故】が増えているのか?

答えのひとつには、前にも書いた通り【体罰禁止】という【学校教育】の【弊害(へいがい)】がある。 授業中であっても【叱られない】叱られても「はいはい」と生(なま)返事をしていれば許される。 そうしたことが積み(つみ)重なれば(かさなれば)、授業中でも【叱られるかもしれない】という【緊張感】がなくなる。 大きくなって、車の免許を取る時にも【オートマ限定免許】に群(むら)がって【緊張感】なしに【簡単】に免許が取れてしまうし、【簡単】に取れてしまえば【免許】を取る時の【交通ルールやマナー】などは【試験前の一夜漬け】のように、簡単に忘れてしまう。 だから、最近の【交通事故】や【煽り(あおり)運転】なども【被害者】とされる人が本当に【被害者】なのかを、私は疑ってしまう。 単に【交通ルール】や【マナー】を守っていない人が、【無理な割り込み】や【確認不十分】なまま【車線変更】をしたのも含まれるのじゃないかな?とか思う。

【池袋の暴走事故】に関して言えば、【現場検証の場】に両手に杖を持って【よちよち歩き】でしか、前に進まなければいけないような【高齢者】が【車の運転をしよう】という気になる、【オートマ車全盛】の今の世の中に問題があるように思っている。 何故?まともに【両足】で歩けない【人】が【車の運転なら、大丈夫】と思ってしまうのか? 【脚力(きゃくりょく)】がなければペダルを踏む事も容易ではないはずだ。 それなのに【車の運転】ならできる。と誤解させているものは、【便利になりすぎた】【自動車の性能】に起因する。 それで【悲劇】ともいえる【交通事故】は起きた。

ちなみに、世間も【被害者(ひがいしゃ9遺族(いぞく)】の男性も、大きな勘違いをしたまま、その【裁判】に臨んでいる。 事故を起こした当初(とうしょ)は、【加害者の老人】も「とんでもない事をしてしまった」と思ったはずだろう。 しかし、この時【加害者】は既に87歳だった。 「とんでもない事を仕出かした」と思いながらも、それを【否定できる材料】を探し始めたのだと思う。 そして、【ブレーキを踏んだのに、車は止まらなかった】と思いついて、それを言い続けた。 それを言い続けることによって【老人】の頭の中では【それが真実なのだ】と書き換えられてしまったのだ。 これは【老人特有】のある意味【特殊能力】である。 まだ若く、高齢者に向き合うことの、ほぼないと思える【被害者遺族】にはわかりえないし、わかりたくもないだろうが、それが【老人】というものの事実だ。

私は、昭和中期の生まれだから、色んな【老人】と向き合う事も多かったので、そんな【老人】をたくさん見てきた。 それを、今年90歳の老人に「娘の名前を漢字で書けますか?」とか「判決が出たら、もうやめませんか?」とか言っても無駄なんだ。 老人の頭の中で、真実は【書き換わっている】 誰がなんと言おうとも、それは変えられない。 【老人の中】では【嘘】をついている気もなければ、【責任逃れ】をしているつもりもない。 だから【被害者遺族】の男性は【老人】を責める事は、もうやめた方が良い。 同じ行動を起こすのなら、【いつコケても】おかしくない【老人】が【運転できる世の中】をどうにかしようと考える方が賢明だと思う。