ヒロリン雑学ブログ

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鋼の錬金術師

鋼の錬金術師

これは面白い

最近はテレビも何も見たいと思う番組がないので、よく古いアニメのDVDなどを見て、時間を潰し(つぶし)ています。
この作品も、もう何度目か…では、きかないくらいの回数を見ているのですが、何度見ても面白いし、見る時代によっても感想は変わる。

元々は、このアニメは2003年~2004年の間で放送されていた。
だから約20年前。という事になる。
このアニメの中には【哲学的な要素】がある。
そこが面白い。

哲学というのは、思うに【小難しい(こむずかしい)物】ではない。
ニーチェ】や【サルトル】がどんなことを言っていても、それは【過去のこと】だ。
大昔、若い…というか幼い頃には、そうした【先人(せんじん)】達に学ばなければいけないのか。と思っていたけど。
この10年程で、そんな事はないんだ。と思えるようになってきた。

ニーチェサルトルなんて、いつの人だ?
大昔の人だ。
それならば、当然暮らしている環境も違うし、文明のレベルも違う。
そんな昔の理論を蒸し返し(むしかえし)て学んで、何の意味があるだろう?

それに大体、それらは個々人の考えによる。
個人の見解。というやつだ。
そんなものに縛られ(しばられ)る方がおかしいのではなかろうか?

ある意味、哲学というものは【普遍的(ふへんてき)なもの】だろうとは思う。
しかし、人というものが成長していくように【哲学】も【学問のひとつ】とするならば、成長をしてもおかしくはない。

哲学というと、小難しく思われるかもしれないけど、もっとも簡単な例を挙げると。
ある小説でもマンガでも、映画でもアニメでもいい。
何かを見た時に、どう感じるか?それだけでも哲学的な考え方はできる筈(はず)だ。
その【物語の主人公に憧(あこが)れる】
あんな風に生きてみたいと思う。

では、どうすれば、あんな風に生きられるのか?
それを考えただけで、それは立派な哲学になる。
何を思って、何を拠り所(よりどころ)にして【揺るがない意思】であったり【その先を目指す意思】であったりを作り上げて、それに正直に生きていくか?
その為に、自分に欠けているものは何なのか?
そうした事を考えれば、立派な人生の哲学者だろう。

現代人は、悲しい事に【自力では何も考えられなくなって】いる。
いや、考えている。という人も多いと思う。
でも、そのほぼ全ては【享楽】に関してだ。
「明日は何をして遊ぼうか?」
食べログを見たら、美味しそうな店があったから、今度そこに行ってみよう」

大体こんなところではないだろうか?
ほぼ刹那(せつな)的なものでしかない。

「温暖化が進んでいるから、どうすればいい?」
地震が増えてきているのは、地殻変動のせいだろうか?」
今の現状を打開するためには、何が必要なんだろう?
恐らくは、ほぼ全ての人が、そんな事を思っていない。

昨日列島各地を襲った【台風14号】も、一過性(いっかせい)のものでしかない。
台風の発生場所が、日本に近づいている事にも注意を払わない。
発生場所が近いせいか?それとも気圧配置によるものなのか?
台風の進路さえもおかしくなっている。

またしても、話が大幅にズレてますが。
昨日、【鋼の錬金術師】の【最終回】を見て、今の時代に裁縫を、このまましてくれたらなぁ。と思った。
最終回の最後、【エドワード】のセリフ(モノローグ)の中には、人が生きていくうえで、大切な事が語られている。

痛みを恐れちゃいけない。それを乗り越えたところにこそ、真実がある。
全文を憶えてはいないけど、要約したら、こんなところだろう。

でも、無駄なんだろうなぁ。と、すぐに否定してしまった。
現代人は【お手軽で簡単で時短】という、これらが【三大要素】となっているらしく、それ以外は認めようとしない。
好んで【若い時の苦労は買ってでもしなさい】とかいうモノに従おうとはしない。
「辛いだけじゃん」

でも、苦労する事を知って【痛み】を知れば、人は人に【上辺(うわべ)だけじゃない】優しさが持てるようになると思うんだけど…。
そうかぁ、鋼の錬金術師が終わってから、もう20年くらいになるのかぁ。
そりゃ時代も変われば、人の心も変わり【感性】なんてものは消し飛んでいるのかもしれないなぁ。←鋼の錬金術師に登場する【エルリック兄弟】の父親【ヴァン。ホーエンハイム】の話し方の真似(^_^;)