ヒロリン雑学ブログ

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アニメの話

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伝説巨神イデオン

伝説巨神イデオン】は【機動戦士ガンダム】の翌年1980年から始まったアニメです。 実際問題、このアニメも秀逸(しゅういつ)でした。 何気に観ていると何ですが、【巨大ロボット物】なのに【小さいメカ】までもが【縦横無尽】に駆け回る様は圧巻(あっかん)でしたし、目新しかった。 第一話で登場した【ガタッカ】は【デザイン】も面白ければ、その【動き】も面白くて結局のところ、このアニメに引き込まれた【要因】にもなっています。

イデオン】はTVシリーズ終了後に【劇場版】として【二部構成】で作られていますが、私としては【TVシリーズ】を全話観てから【劇場版2】の【発動編】を観る事を【お勧め(おすすめ)】したい。 何故ならば、【伝説巨神イデオン】に限って言えば、【富野監督】は何としても【伝えたかった】本当の【最終回】を【創り上げたかった】のではないか?と思うからだ。 だから【劇場版1】の【接触編】は【TVシリーズ全39話】の内の【最終回直前】までの【ダイジェスト】としか思えないからだ。 恐らくは【TVシリーズ】を全話観た【ファン】でなければ「何これ?どんな話なの?」と首を傾げて(かしげて)しまうような【大雑把(おおざっぱ)】に【あらすじ】をまとめたようなものだと思うからだった。

この【アニメ】は【機動戦士ガンダム】もそうだったけど、【多分】に【哲学的】な要素を含んでいる。 【ガンダム】では、その存在についての【ファン】による考察が飛び交って(とびかって)いた【ニュータイプ】が存在する。 【ニュータイプ】に関しての【私見】は【宇宙世紀】になり、宇宙に【人類】が暮らし始めた時、【そこ】は【死】と隣り(となり)合わせの【空間】となる。 【疑似的】な【大地】である【スペースコロニー】は【宇宙空間】に【建造】された【あくまでも物】になる。 【コロニー】の【最(さい)外周(がいしゅう)】である【大地】の【向こう】は【深淵(しんえん)なる宇宙】だ。 【真空】の【その場】では【人類】は生きていられない。 仮に【コロニー】の【壁】に【穴】が開いた場合、それが【大きくて塞(ふさ)げない場合】には、そこには【死】が待っている。

【十分】に【生きて】いられる【設計】ではあっても、例えば【隕石(いんせいき)】が衝突する、または【宇宙ゴミ(スペース・デプリ)】が【衝突】する事で、簡単に【コロニー内】の【人類】は【死んでしまう】 そんな【危険】と【隣り合わせ】で、常に生きていると【宇宙】という余り(あまり)にも【大きすぎる】【空間】の中で【人は同胞(どうほう)である人】を捜すのではないだろうか? 【無意識】の中で。 そうした【思い】が【極限】まで【肥大】した【能力】が所謂(いわゆる)【ニュータイプ】の【素養(そよう)】となっていたのではないか? と、個人的には思うのだけれども【真実】は【富野喜幸:現、富野由悠季】監督の【頭の中】にあるので、実際には【何とも言えない】 しかし【こうした考え方】は【多分に哲学的】だなぁと思うので、自分の中で【そうした思い】を巡らせる事ができるのが【楽しい】

伝説巨神イデオン】の中では【エゴ】がテーマになっている。 【地球人】の【移民星】である【ソロ星】から【発掘(はっくつ)】された【第6文明人】の【遺跡(いせき)】は【人知】を超えて【発動】する。 その【遺跡】こそが【イデオン】であり、宇宙船の【ソロシップ】だ。 当初【それ】は【純粋(じゅんすい)な防衛(ぼうえい)本能】で発揮(はっき)されると思われていた。 だから、まだ【乳幼児】だった【パイパー・ルゥ】の【防衛本能】によって発揮されていると。 だけど、現実的に見て【赤ちゃん】というものは【究極(きゅうきょく)のエゴイスト】である。とも言える。 何故なら【純粋】に【我儘(わがまま)】だからだ。

「お名が空いた」といっては【泣く】 「オムツが濡れた」といっても【泣く】 「お腹が空いた」といっても【泣く】 気に入らない事があっても【泣く】 ハッキリと言って【泣く】以外に【コミュニケーション】が取れないのだから【仕方がない】 あ、【笑う】事もできた…。

とにかく【究極】の【我儘者(わがままもの)】であり【エゴイスト】の赤ちゃん【パイパー・ルゥ】の【防衛本能】に【呼応(こおう)】するかのように【イデ】の力は【表面化】する。 【パイパー・ルゥ】を泣かせてしまう【異星人、バッフクラン】の【攻撃】は【相手をよく知らない】という【恐怖】が生み出した【哀しい出会い】だった。 一番の【悪人】は【イデオン】の中の【ヒロイン】である【バッフクラン】の女性【カララ・アジバ】なんだけどね。 【バッフクラン】の【宇宙総軍】の【司令官ドバ・アジバ】の娘であり【これもまた我儘】な【お姫様】である。 【地球人】の【移民星】の【ソロ星】、【バッフクラン】でいう【ロゴダウ】に到着した【イデ捜索隊】は、そこに【文明人】がいる事に驚く。 それは【文明レベル】がわからないからだ。 【バッフクラン】より低ければ【問題】はない。 しかし【同等】か【それ以上】の【文明】を持っていれば、【話し合う】か【イデ捜索】を諦める(あきらめる)か。

そうした【微妙な問題】を協議している間に、【カララ】の【異星人を見たい】という【軽はずみ】な【我儘】が【地球人】と【バッフクラン】の双方を【悲劇的】な出会いとさせてしまい、【二つの惑星】間に【戦争】という【不幸】を呼ぶことになったのだから。