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宇宙戦艦ヤマトから考える続編の可否

宇宙戦艦ヤマトから考える続編の可否

続編の意味とは…?

宇宙戦艦ヤマトは、間違いなく当時突出した傑作だった。 テレビ版を縮小した形で公開された劇場版1作目もそれなりに面白かった。 それなりにとしたのはやはり約1年の時間をかけて制作されたものが、枝葉松葉を切り落として2時間ほどに短縮されたのだからテレビ版を見てきた者には物足りなさがあった。 そして、それほどの間を開けずに公開された劇場版の第2作。 「さらば宇宙戦艦ヤマト ~愛の戦士たち~」の公開。

狂喜乱舞と表現しても良いと思うが、待ちに待ったヤマトの続編。 度肝を抜くような壮大な物語と敵の正体。 これは私見であるが、ここでヤマトは全編の終わりとなっていれば永遠の名作として評されていたと思う。 しかし、当時のプロデューサーと原作者の松本零士先生の間で結末についての相当な議論がなされたというのは、以前書いた通りである。 その後今度は映画の2作目を1年の長丁場放送するようになり、ここでプロデューサーは今度は自分の理想とした結末に描きかえてしまった。

これによって、ヤマトは延々とダラダラと続編に次ぐ続編が作られる駄作になり果てた。 続編を作るに当たって最も忌避しなければいけない、ワンパターンな物語が作られ続けたのだよ。 始まりはいつも一緒だ。 宇宙の深淵から何者かが地球に攻撃を仕掛けてくる。 それでヤマトの乗組員たちは再びヤマトを駆って宇宙の脅威と対決する。 大雑把に言ってこうした物語があとからあとから作られる。

話はもう一度変わって富野由悠季監督に戻る。 その当時、まだ日本サンライズという名称だった現サンライズは二つのポリシーを持っていた。 後から考えたら予算もない小さな会社だからこその意地の晒し場所だったのかもしれない。 ポリシーの一つはオリジナルしか作らない。 二つ目はどんなに流行っても続編は作らない。 そうしたものを信条にしてアニメ制作に打ち込んでいた。

しかし、数年後。 ガンダムの続編が作られるというアナウンスが流れた。 後に知ったことだけど、言ってしまえば会社の事情とか大人の事情というモノで、作らざるを得なかったという事だったらしい。 そしてその手法はヤマトのそれとは違っていた。 ワンパターンを避けようとしていたことが物語を見ていて分かった。 しかしガンダムも何作も続けば外宇宙からの脅威は襲ってこないが、ラグランジュ・ポイントという地球圏の狭い空間に舞台があるのだから必然作りにくくもなってくる。

そして富野監督は「逆襲のシャア」以降、思ったような物語が作れなくなったので、若手にガンダムを作ってみないか? と新しい可能性に期待をかけたのだが、その思いは誰にも汲み取られることはなく。 富野監督にはストレスが溜まっていったそうである。 なにしろ宇宙世紀に必要なコロニーさえその進化は描かれることもなく、またニュー・タイプはどこかに投げ捨てられたままになった。 ∀ガンダムで外国人のデザイナーにガンダムのデザインを任せたのも、日本のアニメ制作者に意地を見せてもらいたかったからだそうだ。 富野監督以外の監督が作ったガンダムガンダムという冠を被っただけの別物のロボット物としてたくさん存在することになったのはそのせいだ。

という事で、今日も終わります。