ヒロリン雑学ブログ

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アニメと哲学その2

アニメと哲学その2

人の【レゾンデートル(存在意義)】とは

鋼の錬金術師】は、亡き母を蘇らせたい(よみがえらせたい)という【兄弟】の思いが、【錬金術】の【禁忌(きんき)】である【人体錬成(れんせい)】に向かわせる。 【錬金術】とは【等価(とうか)交換(こうかん)】が基本である為に、母の【錬成】に失敗し、弟の【アルフォンス】は【全身】を兄の【エドワード】は【右手と左足】を失ってしまう。 その【失った部分】を取り戻すために、【エルリック兄弟】は、【錬金術】を更に究める(きわめる)為に旅を続ける。 その【話】が根本にあって、それと並行するように【賢者(けんじゃ)の石】という、途方もない力を持った【石】を作り、国家を巻き込んでの【錬成】を企む(たくらむ)【ホムンクルス】との戦いが描かれていく。 ひとつの【物語】の中に、ふたつの【物語】が、並行して、複雑に絡み合って進行していくから、【物語の重み】が増して、面白くなる。

ひとつのエピソードに、【エルリック兄弟】の【師匠】に弟子入りをお願いした時に、【エルリック兄弟】は無人島に置き去りにされて「そこで一か月間、生き延びろ」と言われる。 生き残る事ができなければ【死ぬ】のだし、【弟子入り】もできないのだから、【エルリック兄弟】は必死になるのだけれども。 【生きる】という事は、【平和な社会】では、一見【残酷】に見える事だって、しなくちゃいけない。 例えば【食料】として、【兎(うさぎ)】を捕まえ(つかまえ)ても、【それ】を食べなくてはいけない。 【食べる為】には何をするべきか? 先ず(まず)、【捕獲(ほかく)した兎】を【殺さなくては】ならない。 普通(ふつう)に暮(く)らしていれば、【お肉】は【お肉屋さん】で買えばいい。

でも、自分達で【猟(りょう)】をして【捕まえた兎】は自分たちで【食べられるように】【お肉】にする必要がある。 その為には、【兎の命】を奪わなければならない。 最初、【エルリック兄弟】には【それ】ができなかった。 さっきまで、生きていた。 今も尚(なお)、目の前で【生きている】ものの【命】を奪う事は。普通なら相当(そうとう)な【覚悟(かくご)】がいる【作業】だったからだ。 現代社会の【狂った一面】に飲み込まれた者なら【造作(ぞうさ)もなく】やってのける事も【可能】かもしれない。 でも【このアニメ】は、昔の【古き良き時代】に作られているものだから【当たり前の感性】を以って(もって)作られている。

【躊躇(ちゅうちょ)】して【兎】の命を【奪えなくて】モタモタしている間に、【狐(きつね)】に【横取り】される事もある。 【獲物(えもの)】を取られてムキなって、追いかけはするものの、【その狐】が【母狐】で、お腹をすかせた【子狐】に【それ】を餌(えさ)として与える【姿】を見ると、【それ以上の行動】は起こせなくなってしまう【エルリック兄弟】 そうして、数日間が過ぎて、【空腹(くうふく)】に耐(た)えかねた【エドワード】は地面を歩いている【蟻(あり)】を見つけて、思わず、つまみ上げて食べてみる。 殊の外(ことのほか)、【刺激的な味】だったらしくて、【エドワード】は、正気(しょうき)を取り戻す。 そこで思いついたのが【食物(しょくもつ)連鎖(れんさ)】だ。 例えば、【草木(くさき)】がある。 それを【草食(そうしょく)動物】の【兎】が食べる。 その【兎】を【肉食動物】の【狐】が食べて、やがて死ぬ。 【死んだ狐】の【躯(むくろ)】は、やがて【自然分解】されて【土】に還り(かえり)、【それ】は【草木】を育てる【養分(ようぶん)】になる。

これが【食物連鎖】というものだ。 それは、【円】のようにグルグルと回り続けて、終わることがない【自然の摂理】というものだ。 【円(サークル)】は【錬金術】に於いては欠かすことのできない【要因(ファクター)】だ。 【錬金術師】が【錬成】を行う時に【必須(ひっす)】となるものが【錬成陣(れんせいじん)】と呼ばれる【円】の存在になる。 ここで【エドワード】は「自分達も、自然にとって欠かす事のできない存在だ」と気付く(きづく)。 「この世界を【構築(こうちく)】している、ひとつの【因子(いんし)】なのだ」と気が付く。 この世に生きる物は【例外なく】この【世界を構築】しているモノの【因子】に過ぎないのだ。と気付く。

現代社会において、というか【今の日本】では【火葬(かそう)】が【主流】なので、この【世界観】からは逸脱(いつだつ)しているのだけれども。 ついでに【横道】に入ると、【人】の【個体数(こたいすう)】も他の【生き物】の数を、大幅に超えて、ここでも【人】は【逸脱】している。 更に言えば、【ジェンダーレス】とか【多様性】などという考え方も【自然の摂理】に【照らし合わせれば】大幅に【逸脱】した考え方だ。 【傲慢(ごうまん)】と【贅沢(ぜいたく)】の象徴(しょうちょう)のような【我儘(わがまま)】な考え方なのだ。 あくまでも、【自然の摂理】というものに【従えば】という事ではあるのだが。 自然の【野生動物】の中にも、根気よく探せば、そうした【突然(とつぜん)変異(へんい)的】な【性質】を持って【生まれたもの】もいるのかもしれないが、基本的には、【全てが自然】の中にいる。