ヒロリン雑学ブログ

時事ネタや歴史、漫画アニメネタの雑学ブログです。

憲法9条ってなんなの?

憲法9条ってなんなの?

というのは、少し前のこと。

それが【SNS】に動画として上げられていたものか?【ニュース番組】の中で流された【映像】だったのか?そこの記憶は定かではないのだけれど…。
多分40代くらいの女性議員さんが力説していた。
日本国憲法、第9条は世界にも類を見ない【平和憲法】なので、私たちはこれを堅持して…」
その後は「あーして、こーしてこんな風にしなければならない(自己主張の政策のことなので、よく憶えていない)」

何年か前なら「そうだねぇ、平和憲法…だねぇ」というところで納得もしていたとは思うのだけど。この1年、いや、半年くらいの間で認識が変わってしまったので、素直に賛同はできなかった。
憲法9条】をまだ【平和憲法】と声を大にして言える事に驚いたりもしたのだけど…。
それも無理からぬこと。だという事はしっかりと承知はしている。

戦後16年が過ぎた1961年生まれの私でも、生まれてから成長するまでの間で【小・中・高】の学生時代の【社会】の授業で、その事はみっちりと教えられてきているので、そう信じて疑わない【心情】はとてもよくわかる。
けれど、この歳まで、色々と見聞きしてきた【ニュース】や【書物】などのおかげで【本質】は違う。という事に気がついた。

アメリカ】が【広島・長崎】に立て続けに【原爆】を落として【何十万単位】の【非戦闘員】つまりは【一般庶民】を殺して【終戦】を迎えて、日本は【敗戦国】となり、アメリカは、めでたくも【戦勝国】となった。
戦勝国となったのを「これ幸い」とばかりに徹底的に日本人の【牙】を抜こう。
と考えたのではないだろうか?

言い換えれば、それだけ【日本人】が怖かった。という事だろう?【明治維新】以後の日本は【天皇陛下】を中心に、物事が進む。
実際には、その下に位置する【議会】が様々な政策を決定して、それを国民に周知する。
けれど、それは【天皇陛下】の承認なくしては実現しない。
その上で、【プロパガンダ】として【天皇は神の子】「天皇のお言葉は神の言葉」という形で【神格化】させていったから、下々の庶民には【天皇陛下のご尊顔を拝するのは畏れ多い】という意識まで生ませることとなった。

という事で、終戦間近だった頃には「天皇陛下の御為に」という【旗頭(はたがしら)】のもとに【自らの命】を捨ててまでの【特攻】という作戦までが敢行された。
【特攻】というと、なんだか妙な【悲壮美】のような感じなるけれど、これは現代用語に変換したら【自爆テロ】と、ほぼ変わらない。

こうした日本に根付く独自の文化を理解できなかったから【欧米】の人々にとっては、とてつもない【脅威】として捉えられた。
というところで、これは推測だけれど「これは戦争犯罪人天皇陛下を【死刑】にしたところで、次の指導者によっては同じことが繰り返されんじゃ?」という懸念が払拭できなかったのでは?
と考えている。

だから【混乱】している日本を収める為に【天皇】は利用しよう。
というところで天皇陛下の【死刑】は見送り。となった。
その代わりに、そうした機運が高まっても(戦争をする)できないように【軍隊を持たせない】【戦争の放棄】をさせよう。
何も【文章】として、残しておかないと【誰か】が、また戦争を起こすかもしれないから、これを【憲法】として【明確化】させてしまおう。

という意図。または、それに近い思惑があっての憲法なのではないか?
なにしろ【現・日本国憲法】は、【日本人】が【日本人】の為に頭を捻って作ったものではなく、【アメリカ】が作って「君らは今日から、これに従って生活をしていくように」と押し付けられたものだからだ。
しかも、ご丁寧に【平和】という理想的で輝かしい【オブラート】に包んで…。

これは、私の考えるところでは【明治以後】の日本の在り様だけではなくて、少し遡って【幕末期の日本】のことも影響していると思う。
それは【日本】だけではなくて、少し視野を広げると出てくる、当時【清(しん)】と呼ばれていた【中国】のこと。
当時、清は【欧米各国】歴史的には【列強】と呼ばれていた国々によって蹂躙されていた。

いわゆる【植民地政策】というものが【花ざかり】だった時代だった。
この頃、幕府によって滅ぼされるかもしれない。という立場にあった【長州藩】の【高杉晋作】は、身を潜める為に単身【上海】に渡っている。
そこで目にしたのは【虐げられて】いる【清の人々】の姿だった。
その後、長州に帰った高杉晋作は「これはうかうかしていると、ここも(多分、長州藩のこと)酷い事になるぞ」と、他の同志たちに報告をしたそうだ。←という事が読んだ小説の中に書かれていた。

実際には小説は【脚色】がなされているので、本当のところはわからない。
が、私はその当時の小説家は、割としっかりとした取材をしているので、なにかしらの危機感は持っていたのではないか?と思う。

ここで不思議なのは【植民地政策】で【中国】まで来ているにもかかわらず、そこから【目と鼻の先】にある【日本】は何故【毒牙】にかかる事もなく、無事だったのか?という事だった。
これはおそらく【四方】を海に囲まれた日本という国である。
という地理的な状況と、あとは【ほぼ単一民族】という特殊性であった。
としか考えられない。

【中国】は、確かに【国土】は広い。
沢山の人がいる。
けど、基本的には【多民族国家】である。
【○ぞく】【△族】というものが無数にあって、それぞれが反目しあっていた。
その上で、各部族の境界線などは【地続き】なので【あってなきような】ものだったのだろう。
自然、結び付きも弱い。

ところが日本は【江戸時代】に入ると【藩単位】になる(それ以前から、そうだったような気もするけど…)
一応、呼び名的には【長州藩】とか【薩摩藩】になるけど、実質的には【藩】は【家】になる。
【長州】は【毛利家】で【薩摩】は【島津家】ついでに書くと【土佐】は【山内(やまのうち)家】

取り敢えず、身分としては【士農工商】とあるけれど、【家】の【家長】である【藩主】を支えるのは【士(さむらい)}の役目であって。ここに【明確】で【強固】な【主従関係】というものがある。
「主君のためなら死をも厭わない」という【覚悟】のようなものが、この頃から存在し、【明治】にかけても続いてく。
なので、必然的に敗戦が決まる昭和初期まで、それは連綿と続く。

この【マインド】というものが、やはり【欧米各国】には【理解】し難いものだったのだろう。
【幕末期】の有名な事件として【生麦事件】がある。
これは【薩摩藩】の【大名行列】が街道を練り歩いているのを、たまたま通りがかった馬に乗った【イギリス人】が馬から降りる事もなく小高い場所から、物珍しげに眺めていたら、それに気がついた薩摩藩士に斬殺された。というもの。

この頃【大名行列】に出くわした人々は道の端によって、道を空けて【行列】が通り過ぎるまで平伏(ひれふ)していなければならなかった。
それをせずに頭を上げて眺めていたりするのは【非情に無礼】であり。お付きの侍に斬り捨てられても文句は言えない。

ところが、イギリス人は。そんな日本の常識は知る由もない。
「ほぅー。こんな風習があるのか」的に馬から降りる事なく【馬上】で、それを眺めて近くいた人達と談笑でもしていたのだろう。
それを見た【薩摩藩士】は逆上した。
馬から降りない。という事が【非礼】であるのに、こちらを見て【笑って】いる。
【主君】がバカにされた【辱められた】と思えば、その恥をすすぐ為に行動する。
それが、恥をかかせた相手を始末する。ということ。

多分、当時の中国と比べて、この【主従関係】というものの強固な事、また、主君の為なら命をなげうつ覚悟。というものの強さに【列強】の人々は怯んだのだろう。
「これは清とは違う、それなりの覚悟持って交渉しないと危険」という意識を持たせたのではないだろうか?

だからこその【平和憲法】という【オブラート】に包んだものを【無理矢理】日本に【押し付けた】
その思いは【功を奏して】現在の日本人は【牙】をなくし【腑抜け】にされている。
自国の防衛を他国をたよって【丸投げ】にして【責任放棄】をしているのに平気で涼しい顔をしている。

とはいえ、63歳になってから私も気がついたので、若い世代。
その人達はわからなくてもしょうがない。とも思っている。
大昔に作られた【からくり】なのだから。
今は【甘えん坊】さんが肩で風を切っているのだから【厳しい】事を言っただけで【ハラスメント】認定されるのに「日本を守る為に死にに行きなさい。若人よ」という事は、とても言えない。

日本人は、ほぼ死に絶えた…。
形の上ではDNA的には生き残るよ。
ただ、それは日本語では【形骸】という…。