ヒロリン雑学ブログ

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ガンダムはロボットアニメと再認識

ガンダムはロボットアニメと再認識

したのは、つい先頃のこと。
去年の暮れくらいから「そういえば…」と久しぶりに見始めた【Vガンダム】を見て、やっと気がついた。

そもそも1979年に始まって1980年に終了した最初の【ガンダム】は、戦争用の兵器として登場させたロボットを便宜上、その総称を【モビルスーツ】にした。
なので、当時のSF好きな人間やアニメ好きな人が「新しい!」と舞い上がってしまった。
だって【ロボット】じゃないのだもの。
それまでの【ロボット物】といえば、【怪獣】なのか?【メカ】なのか?判然としないものが多かった(と言うか、それだったけど)のに、この作品では、完璧に【機械】であった点は特筆に値する。
おまけに、その舞台を【宇宙】として、当時の人達には【目新しい】人工物【スペースコロニー】というものまで登場。

それでアメリカの大学教授の【オニール博士】が提唱していた【宇宙植民島】構想も知られるようになり、本当にそれまでは【そんな物】があるとは知らなかった【地球と月と太陽の引力の中和点】である【ラグランジュポイント】というものまで覚えてしまった。
こうした【科学的】な要素が散りばめられていたから、私には面白かった。
そうした本物の理論を活用しながらも、レーダーが酷く発達しているはずの【未来世界】で【ロボット同士が叩く】というのは無理があるとして【レーダーを無力化】させるものとして【ミノフスキー粒子】というものまで【でっち上げる】周到さ(なんか、語弊があるような気が…)

これですっかりと舞い上がってしまった私を含む、沢山の人々。
当時の【日本サンライズ(現在はサンライズ)】は【原作物はやらない】と【続編は作らない】というのをポリシーとして掲げていたのに、よくはわからないけど【大人の事情】という事で続編を作る事となり、【ガンダム】に白羽の矢が立った。

ガンダム】は【ルパン三世】と同じような人気の上がり方をしたんじゃなかったっけか?
オンタイムの放送が終わってから、次第に人気に火が付いたような記憶が…。
なにはともあれ、そうしたサンライズのポリシーは知っていても、夢中になって見ていた【ガンダム】の続編が作られるというのは嬉しかった。

ただ、前にも書いた通り、Ζガンダムは非常に重くてハードな内容だったのに対して、ダブルゼータは、そこを変えようとしたのか?
異様に軽くてハチャメチャな始まり方をしたので、あまり本腰を入れては見なかった。
その後【劇場版】として【逆襲のシャア】が創られて、「結局はガンダムという物語は【アムロとシャア】の戦いを軸をして進んできたんだなぁ」と思った。

なので、世間的な評価は知らないけど、その後に作られた【F-91】は私には、あまり面白いとは思えないものになった。
だって、アムロもシャアも元ホワイトベースの乗組員も出てこないのだもの。
これが面白いとは思えなかったのも無理はない。

その後に始まったテレビシリーズの【Vガンダム】は、街並みが1970年代の頃のヨーロッパですかぁ?
みたいで、時代は【逆襲のシャア】よりも確実に後の筈なのに「人の文化は退行しているの?」という気になった。
しかも【悪者】はその名も【ザンスカール帝国
なんとなく【第二次世界大戦】の時の日本軍とかナチスがイメージできてしまって、その点でも、ちょっと興味が削がれた形になった。
というような経緯を経て、世の中に【ロボットアニメ】とは違う形で【ガンダム】というカテゴリーができてしまった。ような気がする。

だけど、29年が経過してから久しぶりに見た【Vガンダム】は非常に面白かった。
OPで描かれているVガンダムの【コアファイター】と【ハンガー】と呼ばれる腕とお腹にあたる部分、それと【ブーツ】と呼ばれるガンダムの足の部分の変形から合体(ドッキングだよね)するシーンは見事なものだった。
ものの見事な【おもちゃメーカー】が喜ぶようなロボットの機能を無視した【無理のない】変形と合体だと、恐れ入った。

という事で、改めて【ガンダム】は今も昔も【基本的】には「子供向けのロボットアニメだったのだ」と気がついた。
よく考えたら、富野監督が「対象年齢を今までよりも上の年齢にした」と言ったのはガンダムの翌年に放送された【イデオン】だけだったような気がする。
ゼータガンダムの頃は私も若かったけど、富野監督も若かったから、そうしたものが現れていたのかもしれない。

今年に入ってからは、あんなに好きだったΖガンダムも見る気がしなくなった。
Vガンダムの方が丁寧な描写が多い。
だから面白い。