ヒロリン雑学ブログ

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大谷翔平と他の選手との違い

大谷翔平と他の選手との違い

彼には明確な自分の将来に対するビジョンがある。
言葉を変えれば【目標】としてもいいかもしれない。
それは彼がメジャーに行く前の密着ドキュメント、何かのニュースショーのスポーツコーナーの企画で知ったと思う。

その時にも「若いのにスゴイな」と思ったけど、昨日のWBC関連の栗山監督のインタビューにサプライズ登場して言ったこと全てが、やはりスゴイなと思った。

大谷翔平が言ったのは「勝つ事だけを考えて頑張りたい」という事で、それが全てといってもいい。

彼が他の選手や他のスポーツ選手達の中にもいる平均的な選手。というか人。とは違うのはそこになる。

昨今、スポーツの影響力は大きい(昔からそうだったかもしれないけど)。
そんな中で、最近は勘違いをしている人達も多くいる。
彼らの使う言葉に【感動】というものがある。
「感動を与えられるような~」
それは違うよ。と常々思っているのだけど…。

スポーツを見て【感動】するのは【見ている側の人】だ。
それは絶対に【与えられたモノ】じゃない。
一生懸命にプレーしている姿に感動はするものだ。
「感動を与えられるような」や「憧れられるような」というのは、【他人の目】を意識している言葉だと考える。

言い方を変えれば、「他人の目に自分はどう映っているのだろうか?」を気にしすぎている人達の言葉だろう。
これらの言葉は、意地悪に穿った捉え方をして言い方を変えれば「お前ら、俺のプレーに感動しろや」というのと同義語だと思うのだ。

大谷翔平が昨日のインタビューで答えていたのは、あくまでもWBCで自分はこうしたいという事だけだ。
自分の目標について述べているだけだった。
今できる最高のプレーをしたいという思いを述べるだけだった。
子供達に夢を与える。とかそれ以外の人達に感動を与えるというのは、結構な思い上がりだと思う。

大谷翔平には明確なビジョンがある。と最初に書いたけど、そうしたものを持っているから走塁の途中にベース間に落ちているゴミに気がついて、それを拾ってポケットにしまうという事も、そうした思いの一環としてできる。

それだけを見て「僕もああいう選手になりたい」という人には、決して真似のできない事だろう。とも思う。
何故なら、その人にとっての、その思いは一過性のものだろうと思うからだ。
それを心にとめて実際に行動に移している人はどれくらいいるのだろうか?
それだけを実行していても、その先。
大谷翔平でいえば、大活躍ができている今よりも先の将来のビジョン。のようなものを持っていなければ、それは形だけのもので終わってしまう可能性も高い。

大谷翔平の【それ】は野球だけど、普通に一般的な人であっても、自分の将来のビジョンがなければ、ただ生きているだけのつまらなく淋しい人生になるんじゃないだろうか?

けれど、大谷翔平のように生きることはできるんだよ。
それは【今の自分にできる事を精いっぱいする事】
それを旨として生活できれば、それはきっとできる筈なんだ。と思う。