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天皇家とは何だろう?その4

天皇家とは何だろう?その4

戦後の昭和天皇

前回は、ちょっと長くなったので、書き切れなかったから補足としてここで書くと【昭和天皇】は【太平洋戦争】には反対していた。 しかしながら【青年将校】達を【利用】して【二・二六事件】を起こした者がいる。 こうした【実力行使】を【断行(だんこう)】するものが【二・二六事件後】もまだ【軍部】には存在する。 それでは【戦争を回避】しようとする【昭和天皇】は【命を狙われる危険】がある。 だから【太平洋戦争、開戦】に【反対】すれば、【昭和天皇】の【命は絶(た)たれ】代わりの【天皇陛下】が【誕生】して【軍部】の【傀儡(かいらい)】となる。 それを恐れた【昭和天皇】の【側近の者】達は、必死で【天皇陛下】の【意見】を押さえ、結果的に【日本】は【太平洋戦争】に突入していく。

と、こうした【経緯(けいい)】がある訳なのだが、これらは【私が高校生】以後に観た【終戦特番】等のTV番組や読んだ【本】などを【起点】とする【私見】ではあります。

ここからも、先に書いた通りの【ニュースソース:情報源の意】を基(もと)に書いていきます。

【1945年:昭和20年】二つの【原子爆弾】を【本土】に落とされたことにより、【日本】は【負け】を認めて【敗戦国】となる。 余談なのだが、【トランプ前アメリカ大統領】が云う【強いアメリカ】とは【何だろう?】 【アメリカ大陸】に渡った【ヨーロッパ】の【人々】が、【先住民族】であった【インディアン】を【殺戮(さつりく)】して【土地を略奪(りゃくだつ)】して、そこに住み着いた、【祖先(そせん)の蛮行(ばんこう)】を意味しているのだろうか? それとも【一発】で【十分】だった【筈(はず)】の【原子爆弾】を【二発】も【日本】に落として【戦勝国】となった【当時】の【アメリカ】を指(さ)しているのだろうか? いずれにしても【野蛮な国】である事だけは、間違いなさそうだ。

とりあえず、話を戻します。 当時の【アメリカ】にとっても【ヨーロッパ諸国】にとっても【日本】は【恐るべき国】だった。 【それ】は【軍部主導】ではあったと思えるのだけども【天皇陛下】の為なら【命を捧げる(ささげる)】覚悟で、【特攻(とっこう)】をも【厭わ(いとわ)ない国民性】にある。 だから【日本】も【ドイツ】や後(のち)の【朝鮮戦争後】の【朝鮮半島】のように【国を分けられても】おかしくはなかった【状況】だったはずだ。 しかし、そうはならずに【日本】は【日本のまま】【残された】。 それは【終戦後】に【日本】を【統治する者】として【日本に配属】された【GHQ】の【マッカーサー元帥(げんすい)】と【戦争責任者】としての【昭和天皇】との【会談】によって【決まった事】である。

【マッカーサ-】との【会談】の中で【昭和天皇】は「この戦争の責任は、すべて私にあるのだから、私一人を罰して他の国民は許してほしい」という【旨(むね)】を伝えたそうである。 この【罰して】という言葉の中には、【死刑】にしてくれても構わない、という【意味】が込められているのは、言うまでもない。 【マッカーサー】は当初【昭和天皇】は【命乞い(いのちごい)】をするものだと思っていたらしい。 しかし【現実的】に【目の前】にいる【天皇】は【想像】とは違って、「責任は自分が一人でとるから、国民は助けて欲しい」と言う。 【その姿勢】に【感動】した【マッカーサー】は【日本】に対して【できるだけ】の【復興】に向けての【支援】を約束してくれたそうだ。

この時の【昭和天皇】の【毅然(きぜん)とした】姿勢がなかったら、【日本】も【ドイツ】や【朝鮮】のように【国】を【二つに】分けられて、【戦後の混乱】は【長く続いた】のだろうと思われる。 そうした【昭和天皇】の行いもあって、今の【日本】の発展はあるのだと思っているだけれど、【一般的】には【そこ】の部分はあまり知られてはいなくて、【昭和天皇】に対する【偏見(へんけん)】もいまだに多く【見受けられる】のも、また事実だ。 皮肉な事に【天皇家】が【象徴(しょうちょう)天皇】として【きちんと定義】づけられたのは、【2600年】を超える【歴史】の中で【敗戦後】が初めてで、やっと【その地位】が確立された。

昭和天皇】は【責任感】の【塊(かたまり)】であったといっても【過言】ではなかろう。と思っている。 【昭和天皇】は何よりも【公務(こうむ)】を優先していた。 【崩御(ほうぎょ)】される【直前】、身体が【動かなくなる】まで、【公務】を果たされていた。 当時は、私も体を壊す前で、田舎(いなか)の自動車メーカーの工場で働いていたけれど、よく耳にしたのが「天皇は楽な仕事じゃのう、ただ立っとるだけで仕事なんじゃけえのう」というお話ではあったのだけれど、【それ】も【違う】と思っていた。

天皇陛下】は【公務】の間中(あいだじゅう)【立って】いたり【座って】いたりという【姿】をよく見かけはするのだけれど、【姿勢】が崩れない。 立っている時も、座っている時も【姿勢】を崩すことは、まずない。 わかりやすく言えば、私が当時、勤めていた【工場】でも毎朝【朝礼】をする。 【その僅かな(わずかな)時間】でも、じっとしていられる者など、いない。 たった5分から10分程度の時間でも姿勢はだらしなく崩れている。 それは最初からそうであって、大抵の場合、身体の片方に【重心】を置いて、すぐに反対側に【重心】を置き直す。

天皇陛下】のように【体重移動】もせずに長時間、同じ姿勢を【保持】できる【人】を一般の人の中に見た事がない。 人知れない【努力】と【勉強】をされているのが、わかる。 私は【戦後】16年経ってから【生まれている】ので、【昭和天皇】の【公務】に対する【姿勢】も【上皇夫妻】の【3人のご子息】の【成長】も見てきた。 【今上(きんじょう)天皇:現在の天皇陛下の意】は【昭和天皇】の【背中】を見て、現在の【公務】を行っているのではないか?と拝察(はいさつ)する。 何故?下世話な言い方をすれば【長男】と【次男】で【これほどまでの差】が出ているのであろうか? 【上皇夫妻】の【三兄弟】で【次男】が唯(ただ)一人、【昭和天皇】の【背中】を見ていないのではないか?とさえ思ってしまう。