ヒロリン雑学ブログ

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アニメと私の関係性

アニメと私の関係性

富野由悠季監督作品との出会い

1979年。 私が高校3年生の時に【機動戦士ガンダム】のオリジナル放送が始まった。 私が高校生の頃の風潮としては、アニメは大目に見ても中学生までかなぁ。 高校生になったら、いつまでもマンガ(アニメ)なんて見てなくて、勉強しなさい。というのが世の中一般の考え方だった。 だから私も、一応は世の中に倣って(ならって)アニメからはちょっと遠ざかっていた。

理由としては、高校1年の時に始まった二つのアニメ作品によるところが大きい。 ひとつは【ルパン三世】であり、もうひとつは【無敵超人ザンボット3】が始まったことによる。 ルパン三世の復活という事で、私は無茶苦茶期待していた。 誰もが良く知る、赤いジャケットを羽織った鼻先がとんがっているルパンだ。 しかし、このルパン三世は全くの期待外れだった。 世の中には物事の本質を理解しないで、表面だけを見て「ルパンってこんなモノ」で形だけをなぞって作り上げてしまったのだろう。

その原因は相当な時を経て(へて)知ったのだけど、宮崎駿監督の参入によってなったものだそうだ。 ルパン三世というアニメは、本来は日本初の大人の鑑賞に堪えられるアニメを作ろうという趣旨に基づいて作られたものだという事は知っていた(当時小学3年か4年だった) 私は純粋にルパンが好きだったのは時折(ときおり)見せる笑いの要素やエロチックな要素と共に、大人の持つ闇の部分、シリアスでハードで斜(しゃ)に構えた部分のシーンが大好きで、そこには大人に対する憧れのようなモノがあった。 しかしながら、昔からテレビ業界という物は視聴率という物に支配される世界で、このままではルパンの放送は打ち切られるかもしれない。 という事で、視聴率の底上げを担って放り込まれたのが宮崎監督だった。

宮崎さんの参入によって制作サイドの親会社は喜んだが、後にアニメ雑誌のインタビューで最初から関わってきた人の談話として「途中から宮崎が入ってわちゃわちゃになった」という怒りの声も上がっていた。 それはそうだよね。と大人になった私は思った。 モンキー・パンチさんの描くルパン三世の銃器類は、あくまでも「らしく」見える物だった。 ルパンの愛銃をワルサーP38と決めたのも相棒の次元の銃をS&W M60コンバットマグナムにしたのも、それから物語中でルパンが乗る車の選定も全て初期の製作スタッフが決めて創り上げた、ルパン三世の世界観だったからだ。 最初の頃を見るとよくわかるんだけれども、モンキー・パンチさんの作品をほぼそのままアレンジなしでアニメ化しているものが多数を占めている。 それらに味と彩(いろどり)を添えるために物語中に登場する小物(銃や車を含む)なども大人のムード漂う物を使用していた。

視聴率回復男として投入された宮崎駿さんは、その辺りをバッサリと削ぎ落として子供にもわかりやすいような大きな動きや原作からは遠く離れたような「お話」を作って放送していた(ように思う) ただ、それでも宮崎さんは細かな設定などは熟知していたし、その一線を越えることはしていなかったのだけど…。 2ndシリーズの製作スタッフにとっては知ったこっちゃなかったらしい。 銃器類に対する拘り(こだわり)は勿論(もちろん)、知識すら持ち合わせていない。 そんな事だから弾丸に対する認識もなく、とんでもない勘違いをしたまま物語中にそんな弾丸やアレやらコレやら登場させてはガッカリさせてくれていた。 でも、人を傷つける為のモノだから、そこはちゃんと紹介というか表現しなくてよかったのかな?とは今にして思う。