ヒロリン雑学ブログ

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現代を斬る!今回は鬼滅の刃現象と共に その2

現代を斬る!今回は鬼滅の刃現象と共に その2

心の底からの感動ってあるの?

今を生きる人々の多くが、もはや自分の頭で物事を考えられない。 決断もくだせない。 だからSNSとかで、すぐに答えを探すし、答えを聞くことさえ厭わない(いとわない)。 何故、自分の価値基準や判断基準で、物事を考えられないのだろうか? その答えは非常に簡単で、シンプルなものだが、それを書いても反感を買うんだろうなぁ。とは思う(汗)

さて、鬼滅の刃と現代人との比較から現代の問題提起をしていくので、不思議な点を書いていこう。 鬼滅の刃のセリフには、一昔前には若者から毛嫌いされてきた単語が無数に上がっている。 「動けるか?動けなくても【根性】で動け!」 一つ目、根性という単語。 一昔前には「だっせー」などと言われていたものだが、この物語の中では許容されていて、誰も文句は言わない。 【根性】という言葉を置き換えると【意地】とか【気合い】とかになるのかな?

現代は時間短縮が美徳とされる世の中である。 それは鬼滅の刃の原作の中でも如実に表れていて、たかが炭焼きの家の子供が、それまでは剣術も習っていない子が、1年半ほどの修行で尋常に言う達人の域に達することはない。 つまりは【柱】と呼ばれる人たちは人知を超える強さということになる。 ちなみに【柱】とは神様を数える時に使う単位である。 それはともかく、時間短縮に代表される現代社会において、修行の時間を入れたのは、個人的には良かったのではないか?と思っている。 ただし、修行期間が短すぎるというのは、ちょっとなぁ~とは思うけど…。 一応は、修行なしに人は強くはならないんだよ。というメッセージ性があって、良い事ではある。

ただ、今の世の中は、なんでもかんでも簡単になりすぎて、人が本来持っている【野生】の部分、警戒心とか注意力とかいう感覚がかなりの割合で抜け落ちている。 車は、ほぼゴーカートと化して、アクセルペダルとブレーキペダルさえ覚えたらアホでも運転できる。 前に本の読み方でも伝えたけれど、現代人は本を読んだ後「あー、面白かった。売って次の本買おう」が当たり前なので、免許を取ったら、それまでの勉強についてはすぐに忘れてしまうんじゃないか? そう思えるほど、交通ルールやマナーを無視して平気で運転している。 そりゃあ事故も起こるわな。って不思議な納得感がある。

自動車の運転に関しては、私には持論がある。 五体満足な健常者はすべてミッション者に乗せるべきだ。 老若男女問わずに。 高齢者が事故を起こすのは、もはや注意力が足りていないからなんだが、その理由はオートマなんて温い(ぬるい)自動車に乗ってきたからだ。 現代の若者も、注意力も警戒心も持たないまま運転できているのは、オートマなんて本来は身体障害者の人々がそれぞれのケースに合わせて移動が楽になるように作られたものだ。 そんな車に乗っているから注意力や警戒心がない。健常者が乗るものではない。 だから警戒心や注意力が薄くなって、どの年代も平等に事故を起こす。 よく【老害】という単語を目にするが、そう言って小バカにしてる世代も信じられない運転をして事故を起こす。

後、煽り(あおり)運転だが、本当に煽られたとする方は間違いない運転をしていたの? と思ってしまうので、被害者としてニュースで紹介されても、私は懐疑的に受け止めている。 車線変更などの【割り込み】をする時に、確実に安全な入り方をした? とも思う。 まあ、もっともどうしようもない不可避な出来事があるかもしれないので、そこだけを糾弾しても始まらないのだが。 どちらにしても、炭治郎は心が広いのに現代人は心が狭いね。