ヒロリン雑学ブログ

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明治維新の真実はどこに?

明治維新の真実はどこにあるのでしょうか?

本当に「日本の国の将来を憂いた」結果の明治維新だったのか? というテーマで書いてきましたが、これが第3弾です。

さて、北辰一刀流の開祖である千葉周作の弟にあたり、本家の千葉道場に対して小千葉と呼ばれていた道場で剣の腕を磨いたのが、坂本龍馬である。 そして、その道場の長男になる千葉重太郎が世相に乗っていっぱしの攘夷志士に乗って「奸賊たる勝を斬る!」と言って龍馬を伴って勝の屋敷に行った折、面食らったのは最初に妙齢なる勝の娘が応対に出てきたからである。 この場合の勝とは言うまでもなく、勝海舟の事であり、このやり方は勝の命を狙う不逞の輩が増えてきたからとった刺客対策でもあった。 というのも、殺気立ってやってきた剣客も美しい娘が応対に出てくると殺気を削がれてしまう。勝の思うつぼであった。

勝の書斎に招かれた重太郎と龍馬はそこで、見たこともない異国の地球儀やら世界地図やらを見せてもらい、またアメリカの人々の暮らし向きなども教えてもらった。 龍馬は初めて聞く話に興奮を隠せず、重太郎は今まで聞きかじっていた勝の情報通り「こいつはとんでもない男だ」と確信していった。 重太郎が聞き込んできた話は、おおよそこんな話だ。 勝海舟という男は船にもろくに乗れないくせに、いっぱしの口を利いて夷敵の話を吹聴してまわるとんでもない男だ。 事実、勝海舟は咸臨丸に乗ってアメリカに行く際、最初から船に酔ってしまいアメリカ到着まで艦長の勤めも果たせないまま船室で真っ青な顔をして寝込んでいたそうである。

なのに咸臨丸によるアメリカ行きの功労を独り占めして、今もこうして我々の前でその話を言って聞かせる。 こいつは斬るしかない。と殺気をはらみ始めた重太郎を察して龍馬は、ついと勝の前に進んでお辞儀をして「先生!わしを弟子にしてください!」と言ったものだから再び重太郎は殺気を削がれることとなった。 龍馬の気を引いたのは、アメリカには幕府のようなものはない。百姓も商家も武人も皆平等である。 そして、この国でいう将軍の座には百姓の子であろうと商家の子であろうと選挙という手順を踏んで選ばれたら誰でも将軍になれる。というエピソードだった。

なにしろ、先にも書いたとおり、龍馬の血筋は元は商家である。必然、親戚は商家が多い。 その帳場などで小さい頃から遊んでいた龍馬にとっては立ち位置としては武家よりも商家に近いと思っていた。 それが顕著に出たのが浦賀沖にペリーが来航した時である。当時はまだ土佐藩士であった竜馬は脅威の目で見ていた同郷のサムライたちとは違い「いつかワシも、あんな大きな船を動かしてみたいのう」と思っていたそうである。 龍馬の違うところは、船を動かしてみたいにとどまらず「それで世界を相手に商売をしてみたいもんじゃ」と思ったところであろう。元は商家の血筋というのがここで生きてくる。

だから、勝の話を聞いた時に龍馬は誰もが平等であって、将軍になれるのなら、今までのように何かしようと思った時にいちいち将軍家に願い出なくても行動に移すことができる。 そこに魅力を感じたのである。 だから龍馬は幕臣である勝に向かって「ならば、幕府は倒さねばならんでしょうな?」と問いかけたという。 勝海舟は苦笑いする他なかったという。

お分かりであろうか? 龍馬とて、日本の将来を案じていた訳ではない。 言ってしまえば、自分が世界を相手に商売するためには、幕府よりもアメリカのように選挙という方法で将軍を決める方が自分が思ったままに行動できるのだ。という事を認識したからであって、決して日本の夜明けなど意識してはいないのである。

詰まるところ、長州藩は幕府によって潰されるか?幕府を潰すか。それ以外の選択肢がなかっただけであり、薩摩藩に至っては関ヶ原以来の恨みを晴らすためという妄執に囚われていただけである。 そうして龍馬は真面目に自己都合の為にのみ、倒幕を意識しただけで、誰も日本の未来なんか考えてはいなかった。 ただ、時の気運というか、同じ時代に幕府を倒すという目的を持った3者が揃っていただけである。 ただ、その同じ時代に勝海舟という男がいたことも大きな歯車の一つとして見過ごせない。 この男のおかげで、龍馬は浪人という身分でも幕府の海軍学校には入れて、操船技術などを学べたし、そのおかげもあって龍馬が組織した海援隊が蒸気船を手にした時に海援隊だけでの船の操船が可能になった。

その龍馬が色々と場所を転々とする内に長州の重鎮たちとも知り合い、薩摩藩とも面識ができ、それがのちの薩長同盟を生んで、時の大きなうねりが幕末から維新へと導いただけの事である。 つまりは「日本の夜明けは近いぜよ!」なんてセリフはどこにも存在しないし、ちゃんちゃらおかしいフィクションだったのである。 全ては長州も薩摩も龍馬も自己都合だけで、倒幕を果たしただけの話である。 それは途中で帝を巻き込んで自分達こそに大儀があると思わせたり、そういった小細工はしたのだけれどもね。

という事で、結論は、だ~れも日本の将来を憂いたりすることなく明治維新はなったという事です。