ヒロリン雑学ブログ

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神話の神様と宗教における神様の違い2

神話の神様と宗教における神様の違い2

難しい問題だよね

脱線した話を元に戻そう(ペコパをパクりました) 要するに、神話の神様っていう存在は限りなく人間のメンタルに近いのだ。 日本の神話と言えば【古事記】が挙げられますが、この中でも神様は人間に近い。 前に書いた火の神【加具土命(かぐつち)】のエピソードもそうだし、天照大御神(あまてらすおおみのかみ)は、弟にあたる素戔嗚尊(すさのおのみこと)に虐められて天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまって、世の中は暗黒に包まれた。 太陽神が姿を現さないのだから、昼間が無くなったんだよね。

とはいえ、古事記は後に神道として立派な宗教の一派になるんですが…。 世界には様々な神話があって、宗教もある。 そんな中でも2大宗教といってもいいのが【仏教】と【キリスト教】になりますが。 この二つの宗教は【救世主】の存在が重要になってくる。 仏教に於いては悟りを開いた仏陀(ぶっだ:本名 ゴータマ・シッダルタ)が何億万土も離れた場所で、現在は弥勒になるべく修行中という。 キリストさんはゴルゴダの丘で十字架に貼り付けにされて殺害されたのに、また蘇りアルマゲドン(最終戦争)の時に降臨して民衆を救うとか。

同じ神様なんだけど、神話の方は人に近い存在であるのに、宗教の方は人類の範疇から大きく逸脱して、万能の民の様相を呈している。 キリスト教における聖書の扱いもかなり面白い。 旧約聖書という物は、確かイスラエルの民衆の神話になる。 でなければ、モーゼが海を割って安全な向こう岸まで水がなくなった海底を歩いて渡り切るなんてことはできようもない。 またバベルの塔のお話も、人々が異常に高い塔を作り出したのを見て、我々に刃向かうつもりか?!とばかりに怒って人々が話す言葉をランダムに変えてしまって、意思の疎通が図れなくしたり(一説には塔の最上部を爆破して壊してしまったとか) もう、この内容は完全なる(私の)神話の定義に当てはまる。

もう一方の新約聖書は、こういっては何だけれども、これはイエスの弟子たちが裏切ったことを詫びるかのように「イエス・キリスト偉大なり」と誉めそやしているだけの読物のように思えます。 なにしろ【ヘブライ人からの手紙】とか【マタイ伝(だったかな?)】は神の教えというよりも単に「私が仕えていたイエス様という人は偉大な人だったのだ」ということを熱心に説いているように私には思えるのだ。 これは我々の間でもよく目にする光景でもある。 例えば空手を習っていて、自分の師匠はこんなに強いのだ。と言いたいばかりに話を膨らませてオーバーに盛って話したりすることはないだろうか? また。そういった話を聞いたことはないだろうか?

私には、読み物として読んだ時の印象で、そう感じられた。 そして、何よりも二つの宗教がもし、仮に全ての人々を救う物としてあるのであれば、何故あれほどの数に分派したのか? 不思議である。 真理は一つと言いながらも同じ宗教の中で幾通りにも枝分かれしていったのは何故だろう? 純粋な質問事項がここに生まれる。 キリスト教だけに限らず、これは仏教でも同じことだ。 真理がひとつなら、何故枝分かれしてしまうのか?

ここでまた、私のクルクルパーの頭脳はSF的な思考に突っ走るわけなんだけど。 何故、神話の神様って非常に人のメンタルに似ているのか? そうした疑問に、もう一つの疑問がぶつかるんだけれども。 よく遺跡だけが残っていて、そこに根差して暮らしていたはずの人々は、どこに行ったのかわからない。 そういう遺跡もあちらこちらに点在している。 私の頭の中でどう結びつくのかっていえば、この地球上で何らかの原因で滅びかけた人類が何種族もいるんじゃないかな?

その中で生き残った人々の中で、ある種の機械を触れる人間が人類のリーダーとして、のちに神様という表記で表されたってことはないだろうか? こんな風に考えている私でした。