ヒロリン雑学ブログ

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SF的思考で現状を考えてみる2

SF的思考で現状を考えてみる2

何故、一度に三つの災厄が襲ってきたのか?

それで、ここからSF的な思考という物の出番である。 生物とか生命体とか言われて考えられるものは何だろう? 人類を含めて同じこの地球という惑星の上で暮らす、全ての動物であり大地にしっかりと根を張った植物や空を飛ぶ鳥たちに海や川で暮らす魚類に甲殻類。 もっと細かく言えば虫だってそうなんだ。

しかし、ここで止まってしまっては、実際に目に見える、感じることができる生物ばかりになってしまう。 SF的思考で見ればこの大地も海も大空も、全てが生きている生物であると定義しても構わないと思う。 なにしろ、短命なる人間の感覚で見る限りではさしたる変化は見られないかもしれないが、地球という命尽きるまでの期間が何億年単位の生物からしたら、遅々とした動きでも確実な生命活動をしていると私は思う。 その証拠には、世界史などで習うと思うけれど、元々の陸地の形はこうではなかった。 今では離れてしまっている大陸と大陸が引っ付いている時もある。

ポンペイなどは火山活動の活発化に抗うことができず消滅した。 有名なアトランティス大陸も活発な火山活動のせいで海底に沈んだとさえ言われている。 これらの事からきちんと惑星の中で生命維持の行動がなさ得ていると考えると、地球という惑星も立派な生命体といえる。 更に飛躍させると、地球が生命体なら所属する太陽系の星々も各個に生命体であり得るだろう?

更に視点を広げれば宇宙そのものが生きている存在でさえある。 遥かな年月を超えて、消えていく星。また,生まれてくる星。 宇宙の中の細胞が生まれては消え行くと考えられないだろうか?

有名なアニメの「機動戦士ガンダム」の冒頭のナレーションを知っているだろうか? 「人類が、その増え過ぎた人口を宇宙に移民させるようになって…」から始まる。 1979年には、もう既にこのままだと人類の人口は増え過ぎるという予測が容易にできた時代でもあった。 1969年という恐ろしく古い時代には科学者、オニール博士によってその予見は出されていたのである。 つまり私がまだ8歳の頃にはこのまま人口増加が続けば、人はいつまでも地球に住み続けることはできないだろうという推測ができていたのだ。 ガンダムというアニメで、1979年に日本で陽の目を見た、オニール博士の宇宙人工島構想から既に40年。 どれほどの人口増加になっているのだろうか?

古来、増え過ぎた生物は食物を食い荒らす存在として、今迄は人が間引く(殺すことの意)という事をしてきた。 農作物を食い散らかし森や田畑を荒らすことになる増え過ぎた種は人類によって淘汰されてきた。 では現代はどうか? 人類は増え過ぎているし、種の保存さえ放棄している人類は、この惑星に必要な存在なのか? 人類の愚かな行動のおかげ。というのもあるとは思うが、今や人類は地球によって淘汰されようとしているとは考えられないか? 種としての人類の過大増加に、道はアスファルトに覆われ、色んなビルが幾つも立ち並び、局地的なミラー効果で狭い範囲で高熱を生んでいる。

人にとっての皮膚という物が、地球にとっての道とか(道路ではありません)草原という物は皮膚に当たるものではないだろうか? そうなると、人が大火傷を負って皮膚がケロイド状態の時に発汗作用などできはしない。皮膚呼吸もできない。 これが惑星表面上に無限に張り巡らされた道路や人工的な物体で埋め尽くされた都市が次々と出来上がっていくと、地球にとっての皮膚呼吸はとてもしづらいものになる。 人間の体の中に異物が入ればそれを排除しようとする力が働く。 なら地球だって今や原因不明の皮膚病に襲われているものだから、それら人工物を排除しようとするのも当たり前ではなかろうか? そのひとつが地震だとすると、わかりやすい。 皮膚の上で固まった瘡蓋(かさぶた)を剥がす為の処置だと思えば、納得できませんか?