ヒロリン雑学ブログ

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アニメ今昔物語

アニメ今昔物語

今昔物語のアニメ化の話じゃないよ

昔からアニメは好きだった。 物心がついてから【スーパージェッター】や【遊星少年パピィ】【黄金バット】に一連の【手塚プロ作品】【鉄人28号】も【エイトマン】も大好きだった。

という事で、ここ数年のアニメの作られ方には多少の不満がある。 漫画原作の場合には、週刊ペースで連載されていても、後発で作られたとしても【アニメ】が原作に追いついてしまう事はしょうがない事だった。 だから、連載中の漫画原作の物に関しては【第1シーズン】とか言って区切りが出ても「それが時代かぁ」で済ませていられるのだけども。

原作の連載が終了した物も、アニメの制作期間に【空白】が出来てしまうのは、どうしたものだろうか? ハッキリいうと【鬼滅の刃】になるんだけれど。

鬼滅の刃】は、最近の物としては割と楽しく見せてもらった。

【竈門炭治郎立志編】から【無限列車編】までの空白も、まだ【雑誌連載中】だったから、納得もしよう。 しかし、【無限列車編】の劇場公開が終了する頃には、連載も終わっていたんじゃなかったっけ? ここでも、珍しく【漫画全巻セット】をネットで購入して読んだのは、その頃だと記憶している。

そして【遊郭編】をテレビでやりますよ。というアナウンスがあってから、かなりの間、私は待った覚えがある。 しかも「遊郭編やります。でもそれより先に無限列車編もテレビで流します」という事で、「まだ待つんかい」とズッコケた事も記憶しております。 とまあ、これだけ待たされて【遊郭編】が放送開始となって、終了後、次回作は【刀鍛冶の里編】制作決定。 というアナウンスがあって、ネット上でも【予告編】が流れもしたけど。

肝心の【いつ】なのか?媒体は【映画】なのか?【テレビ】なのかの明言はなく、ただ、ひたすら待てよ。という事なのか? そう思った時に【熱量】は冷めた。

もはや、あまり楽しみにはしていない。 それでも始まったのなら、多分見るんだろうな。とは思うけど、映画なら【見に行かない】 いずれは多少のニュアンスの違いはあってもテレビシリーズとして流すんだろう。というのが見えるから。 仮に意に反してテレビシリーズにならなくても、それなら見なくても後悔はしないと思う。

【鉄は熱いうちに打て】という、諺(ことわざ)がある。 要は、この場合だと「みんなが注目している内に、熱が冷めない内に全てをアニメ化した方が良い」という意味で使わせてもらう。

この戦犯は【フジテレビ】なのか【少年ジャンプ】になるのか【UFO○○】になるのかは定かではないけれど、【意味なく】引き延ばすのは何故なんだろうか? YouTubeの動画の中に【神作画】とかいうタイトルで【鬼滅の刃】のアニメの【1シーン】が紹介される事は、ままある。 けれど、大昔からの【アニメファン】としては「あれだけの準備期間があれば。あんなものは【神作画】とは呼べない」と思ってしまう。 時間を【アホ】ほど長くとれるのであれば、どんな愚図(ぐず)でも一定評価に値(あたい)するものは作れる。

しかも今のアニメは【CG】が使えるのだから、昔のような【100%手描き】の物とは比べ物にならない程【楽】だ。 というか【楽】に作れる筈だ。(と思う) ちょっとばかり、端折った(はしょった)けど、ここでいう【CG】は【3DCG】の事です。

約束のネバーランド】という作品がある。 これも、テレビで(アニメ化されて)初めて知った【作品】だ。

こちらも毎週毎週「どうなるんだろう?」という、ドキドキわくわく感をもって見ていたけど、途中で切れた。 つまりは【第1シーズン】の終了だった。 だから【第2シーズン】の開始を知ってとても喜んだのだった。

なので、テレビのアニメシリーズを全話録画して。それを一気に【DVD】に焼いてから【一気見】しよう。 で、その通りに行動して、見始めてから【3話】辺りで見る気はなくなった。 「あ~、こういう展開になるんだぁ」と思ったのが、最後だった。

これが【連続】して【シーズン】なんかで区切られていなければ、多分、最後まで【興味深く】見ていたと思う。 しかし【熱量】が冷めてから【作られ、放送】されても最初に感じた【面白い】を凌駕(りょうが)する事はなかった。

これと一緒で、既に【熱量】を維持できなくなっているので、多分【刀鍛冶の里編】は、私にとっては、あまり【好意】を持つ事が出来なくなっている。 元々【鬼滅の刃】というのは、私にとっては【茶化(ちゃか)せる】【突っ込める】から面白くて、好きという側面(そくめん)があった。 物語として、純粋に面白いのは、今放送中の【SPYxFAMILY】の方が上なのである。

鬼滅の刃】の作者は、恐らく大正時代というものを【誤解】している。 これはしかし、アニメの制作会社もよくは知らないだろうと思える。

大正時代とはいえ、たかが【炭焼き】の家の食事が【白米】であったり、おかずに【たくあん】や【みそ汁】などというのは、かなり贅沢な家庭だろう。 【無限列車編】の戦いで【夢の出来事は現実にも影響を与える】などという【現代】でも、ある程度の【年齢】にならないと知らない事を大正時代の、炭焼きの家の子供が知っているわけないのだよ。

江戸時代から遊郭の最下層で生まれて育った無学な子供に【禍福(かふく)は糾える(あざなえる)縄の如しだろ】というセリフは思いつかない。

一番おかしいのは【大正時代】の【炭焼き】のいえに【家系図】なんていう【ご立派】物は【存在】しない。

家系図】というものは【由緒(ゆいしょ)正しき】【家柄(いえがら)】を表すものである。 だから、普通に考えると【武家】に存在するものだ。 ひょっとしたら【豪商】と云われていた【商家】にも、あったかもしれないけれど、【百姓】や【炭焼き】の家には、そんな御大層(ごたいそう)な物はないし、あるべき必要がない。

昭和の時代になると、少しばかり【金銭的】に余裕のできた【家庭】の中に、あやふやなままで【家系図を作る】者も出てきている。 なんの確証も、歴史的事実もないのだけれど、多分【見栄】だと思うけど、それで【家系図】をでっちあげている【家】もあった。 家系図を作る【職人】さんだって、【この通りを作ってくれ】と言われて断る道理はない。 作れば【お金】になるんだから【胡散臭いな】と思っても、断らずに作る。

うん、まあ、ケチをつけるのはこのくらいにしておいて、昔のアニメのつくり方の方が好きだったというお話です。