ヒロリン雑学ブログ

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文系にもわかりやすい相対性理論

文系にもわかりやすい相対性理論

アインシュタイン相対性理論

これ自体は、とても有名なのでバカでも知っている。 なので、私も知っている。

しかし、じゃあ具体的に【どういう事】を言っているのか?と問われたら返事に窮(きゅう)する。 【相対性】というのだから、【相対(あいたい)する】何かなんだろうとは思うけど、具体的な事は言えない。 元々が数式で表す類い(たぐい)の事だから、いくら読書好きな私でも数字は苦手なのでありました。

でも、かなり昔の話になるけど、ある作家さんが【文系】でもわかりやすく解説していたものがあって、それは読んだ。 すごくわかりやすかったし、非常に胸落ちしたのだけれど、ひょっとしたら【数字】を無理やり【文章】に置き換えているので、大嫌いになった【専門家】という人々が見たら、全然違うかもしれない。 なので、何十年も前に読んだ、その本のタイトルや作家さんの名前は伏せておくとして、その【文章】に、置き換えられた【相対性理論】について書きたいと思います。唐突ですが。

先にも書いた通り、【相対する物】がどうにかこうにかなっているのが【相対性理論】の核となっている。 では【相対するもの】とは何でしょう。 作家さんは、これを【物質(マテリアル】と【意義】というものに分けて説明してます。

つまりは【相対する物】が【ひとつ】になって、万物(ばんぶつ)というものは【存在】するのだという事です。記憶に間違いがなければ…。

例として【椅子】を挙げます。 【椅子】は、腰をかけて休む事が出来て、非常に便利な物です。 しかし、デザインを追求するあまりに【見た目には面白い】けど、【座る】と却って(かえって)【疲れて】しまうような物も多数ありますよね。

このような【物】を、はたして【椅子】として呼んでいいのでしょうか? 【形(物質)】としては【椅子】の定義に当て嵌まって(はまって)も、【座って疲れて】しまうのでは【椅子】とは呼べませんよね。 こうなると【椅子の形をしたオブジェ】です。

ハイキングに出かけましょう。 長い間歩くと、普段の運動不足がたたって疲れてしまいます。 見ると、少し大きめの【石】があります。 そこに、よっこらしょと腰かけて休むと気持ちがいいでしょうね。

この時に、少し大きめの【石】は、間違いなく【椅子】としての定義を果たしています。 つまり【少し大きめの石】は【物質】であり、【腰をかけて休む】という【意義】も、併せ(あわせ)持ちます。 これが【相対性理論】を文章で表した形です。

手に触れる事が出来る【物質(少し大きめの石)】が、手に触れる事も出来ない【座るという意味(意義)】を持つ事で、その場では【石】そのものが【椅子】として【立派に存在】する。 それこそが【相対性理論】だと。

さっき、例に挙げた【デザイン重視】で【座って楽が出来る】という事を、全く無視したものは【椅子】とは呼べませんよね。 ものの3分も【座る事】が出来ない物は制作者が【椅子】だと主張しても、一般的には【受け入れらない】物でしょう。

そうして考えると、身の回りには【物質】と【意義】があって、初めて【成立】するものが、かなりあります。

例えば、靴とかサンダルも。 砂浜の焼けた砂の上を裸足(はだし)であるのは苦痛ですが、そこに何か【布】のような物、例えば【Tシャツ】とか【バスタオル】とかがあれば、それを足に巻き付ければ、簡易的ではあっても、それは【靴とかサンダル】とか呼ぶ物として、そこに存在するのですよ。

これって面白いと思いませんか。 それなら、なんとなく【相対性理論】もわかる気がします。 ただ【数字愛好家】の【専門家】の人達が、どう言うのかはわかりませんけど。

今日こそは、本当の【だらだら話】で、どうでもいいっちゃいい、お話でした。