ヒロリン雑学ブログ

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戦争という物は… の2

戦争という物は… の2

戦後も悲惨

実は、どちらを先に書こうかと迷っていたのですが、やはりお袋の話から先に書きます。

お袋が昭和8年生まれだというのは、前に書いた通りです。 そのお袋の両親。 私からしたら、祖父母という事になりますが、お父さんは身体が弱く、お袋が生まれてからほどなくして他界したそうです。

そんなわけで、お袋は「お父さんの事は一切、記憶にない」と言ってました。 ただ親戚筋のおばさん達から「あんたのお父さんは歌がうまかったんじゃ、ええ声で歌っとった」という話を聞かれてはいたようです。

お袋は四人姉妹の末っ子です。 お父さんが亡くなって困ったのは祖母です。 当時と今とでは、あまりにも違いすぎる世の中だったので、祖父を偲ぶ(しのぶ)間もなく現実的な問題に直面します。

それは「四人の子をどうやって食べさせていけばええんじゃろ?」 今のように【シンママ】といっても【子供の人数】が違います。 一人や二人じゃなくて【四人姉妹】を飢えさせないようにする為には、どうしたらいいのか?

当時の【手だて】としては【再婚】しか他に方法はなかったのです。 とはいっても四人の【子持ち】となれば【独身男性】の再婚相手など見つかるはずもなく。 再婚した相手は【百姓家】の【子連れ】の人でした。

百姓家の朝は早い。 お袋によく聞かされたのは、「朝は夜が明ける前に家を出て、夜は日が沈んでから帰ってくる」という事です。 当時は【街灯】だってそんなに整備されていなくて、月が出ていなければ、ほぼ【暗闇】となります。 【街灯】については【空襲】や【機銃掃射】の的にならないように消されていたもしれませんね。

小さかったお袋は日が沈むと「まだ帰って来ないかなぁ」と、玄関先に立って道の彼方に目を凝らしていたそうです。 そうすると、やがて暗闇の向こうから影が薄ぼんやりと見えて、お母さんと義父が連れ立って帰ってくるのが見えたそうで、嬉しくなって駆け寄るとお母さんが、おでこをくっつけててすりすりしながら「愛い(うい)奴じゃ、愛い(うい)奴じゃ」とおどけたように声をかけてくれたそうです。

お袋が【幸せ】だったのは、ひょっとしたら【その時】が、一番だったのではないでしょうか。 それから、多分。僅かに数年後になると思いますが、既に【戦時下】に入っていた時に、歩いていた祖母はダンプカーにはねられて亡くなったそうです。 ことさら大袈裟に書きたくはないのですが、生まれて十年ほどで両親が他界するというのは、どれほどの悲しみなんでしょうね。 【戦争】とは直接的な関係はありませんが、これが【戦時中】の話なので、なんとなく私の中では切り離せないでいます。

余談ですが、お袋は【機銃掃射】を受けて、田んぼに身を伏せて逃げたことがあるそうです。 機種はわかりません。 当時は【アメリカ製】の【戦闘機】の事を【グラマン】という会社名で言っていたみたいなので。

祖母が不慮の事故で亡くなってから、お袋の生活から【平和】の文字は消えました。 考えてみてください、その時から、身を寄せていた家は【赤の他人の家】になったという状況を。 それまでは祖母がいたから、多少の【居心地の悪さ】も凌いでこれたけど、祖母がいなくなったら全く【血縁のない】家庭に紛れ込んだに等しい毎日になる。という事を。

実のところ、祖母が再婚した時に、四人姉妹の【長女】のおばさんだけは、再婚相手の【戸籍】に入れてなかったのです。 それは当時【家督】つまり【姓】を残すという事が【重要視】されていたからです。 自分の代で【祖父の家を絶やすことは出来ない】という祖母の思いでしたが、それはアッケラカンと上の三人によって消されてしまいました。

終戦後の話になりますが、上の三人がみんな早々と結婚してしまったのですね。 一抜けしたのは【次女のおばさん】ですが、おばさんは元々【再婚相手(もう一人のお爺さん)】の【籍】に入っていたので、問題はないのですけど。 次に抜けたのは、こともあろうに【長女のおばさん】 現在の私が継いでいる【姓】を継ぐ筈だった【おばさん】が、居心地が悪いのもあったのでしょうが、とっとと結婚をして結婚相手の【戸籍】に入ってしまった。 年齢順という事なのか?三女のおばさんも結婚しちゃうと、結局は最後まで【居心地】の悪い【他人様】の家に居続けたことになる、お袋が【家督】と【仏壇】を押し付けられてしまった。

ここまで書いてきて、気が付いたけど時代が【戦時中・戦後】だから【戦争】と結び付けていたけど、【戦争】は直接的には関係ないね。 いやぁ。参ったねこれは。というところでしょうか?

でも、戦時下に起こった事であるという事には間違いない訳で、【たられば】の話にはなるけれど。 もし【戦争】がなかったら、【平和な世界】であったれば。

祖父は身体が弱くて短命だった。 では、その原因って何だろう? 十分な栄養がとれていたなら?というのは【仮定】の話で、仮に【戦争】がなくても、当時の日本は、かなり【経済的】には【困窮】していた筈なので、豊かな暮らしとは程遠かったんじゃないだろか?

当時、【子供達】だった世代の中には「あの頃、日本は好景気に沸いていた」という人も多かったけど、【水面下】ではすぐに【不景気】になるのはわかっていたらしい。 満州国を作り上げて、満州鉄道を敷き、それに必要な施設も作るから【表面的】には【好景気】で潤っていたけれど。 それも【出来上がって】しまえば、その後に続く【仕事】はない。 仕事が無くなれば、その為に【増築】した工場も、【増やした人員】も必要がなくなる。

工場は規模を縮小せざるを得なくなり、小さくなった工場には【不必要】なほどの人員は【余剰人員】となるので【解雇】しなければ、やっていけない。 こうなると将来は【不景気】へとまっしぐらに降下していく。 だから【大東亜戦争】すなわち【第二次世界大戦】が始まった。

という事なので、ロシアとウクライナ間での【戦争】も、その底にある理由については【第三者】の国があれこれ言っても【埒(らち)が明かない】 という事なので、今世論が騒いでいるのは【平時】に時に言うべき事であって、【戦争】が始まった以上は【終わるまで】待つしかないというのが【知性的】な考え方だと思う。

なんとか【戦争】に引き戻せたので、今日はここまでとします。