ヒロリン雑学ブログ

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鬼滅の刃にツッコミを入れてみた3

鬼滅の刃にツッコミを入れてみた3

今回は、その他諸々について

一応、修業時代の刀や木刀に関する話は一段落として、今回はその他の気になったことについて書いていこうと思っています。 炭治郎は心の優しい子である。 だから消えゆく鬼に向かって手を合わせもする。 その優しさがあればこそ残念だったのが、鼓の屋敷とか蜘蛛の糸に操られていた鬼殺隊員が死んだときの描写にある。 とはいえ、私は原作を読んでいないので、この表現が間違いなく原作にも描かれていたのかそれともアニメ化する時に微妙に変わったのか? それはわからない。そしてそれはこれまで書いてきたツッコミを入れているところにも共通するのだけど…。

ともあれ、鼓の屋敷で最初に窓から放り出されて地面に落下して死亡してしまった子。 両眼を見開いたまま死んでいたのに、目を閉じてやるところがなかった。 同じく那田蜘蛛山で「お母さん」に操られていた鬼殺隊員が首の骨を折られて始末されるシーンでも鬼殺隊員は目を開いたまま死んでいたのに炭治郎は手を合わせてやっただけだった。 基本的に目を開いたまま死んでいる遺体に出会うと、それを見つけた人は自らの手を使って両眼を閉じてやる。 それが不遇の死を遂げた人への礼儀である。とされているようだ。 だからこのシーンはものすごく勿体ない気がした。 炭治郎の心根が優しいことを思えば、ものすごく勿体ない。

それから、話が前後してしまうのだけど、炭治郎が最初の任務で退治した鬼。 道端に「沼」をそこに隠れたり、そこに人を引きずり込んだりしていた鬼。 炭治郎は言う「俺がどこで修業したと思っているのだ」と…。 しかし山と沼では比較にならないのだよ(TT) 山は薄くてもまだ空気が存在するけど、沼というのは水だからね。泥が混ざった汚い水なんだから。 呼吸そのものができないところなんだよね(滝汗)

あのシーンは最初に見た時から今に至るまで、もう何十回も見直しているけど「いやいやいや」って必ずツッコミを入れてしまうのです。 そこは息ができない水の中だから~!?っていう具合に…。 今の時代、確かに沼を見ることはほぼないとは思うけどさ。 さすがにこれはひどいと思ったさ。作者も若い人とは思っているんだけど、そこに資料を渡す役目を担っている編集者も知らない?嘘?まさか? というのが偽らざる私の感想です。 これは鬼に関しては血鬼術(漢字はあってますか?なにしろ原作を読んでいないからどんな漢字を当てているのかわからない)だとするなら納得できる。 しかし普通の人である炭治郎にとっては死活問題になる。

水の呼吸をしたくても周りは水である沼なのだから吸いこもうとすると水(っていうか泥だらけの水)が灰の中に入ってくるのだから、できないの。水の呼吸。 なので「ねじれ渦」も発動できないのね。 なので大失敗の巻になるのだけど、アニメ版しか見ていないし、何とも言えないのだけれど。 まあ話はそのまま進行するし、あまり細かい事を気にしてもしょうがないから、そのまま無かったことにして見たし。 それでも十分に面白かったんだけどね。 でもやっぱり本当の事は後からでもちゃんとした知識を持ってもらいたいと思って書いてます。 マンガはあくまでフィクションですから、ある程度は作られてもしょうがない事ではあるけれど、でもこれがまかり通ってしまうと正しい知識を持たない子がたくさん増えてしまう。 なので書いてみました。「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」ですなぁ~。わぁ~はっはっは。この言葉を知らない人は調べてね。