ヒロリン雑学ブログ

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日本語文化と欧米の文化

日本語文化と欧米の文化

ストレートな感情表現?

前に、この【ブログ】でも書いたと思うし、【Twitter】でもツイートしたと思うのだけれど、何十年も前に【NOと言えない日本人】という【書籍】が【ベストセラー】になった。 当時は私もそう思っていたので、「一度、読んでみたいなぁ」と思いながら時は通り過ぎて行った(結局は読んでないんかい!敵な((^_^;)))。

【要約】すると【日本人ははっきりとイエス・ノーを言わないから欧米に馬鹿にされる】というような内容だったと記憶している。 【現実問題】当時の【首相】だったかその後だったか? 【中曽根首相時代】アメリカの大統領は【ロナルド・レーガン(リーガンと表記するメディアもあった)】で、この2人がお互いを【ロン】と【ヤス(中曽根康則の略称)】と呼び合って【仲良しこよし】を【世界】にアピールしていた時、世界的に【経済】はどん詰まりだったといっていいと思う。

アメリカの【経済】は【軍産複合体】と言われ、【軍需産業】と【民間産業】が密接にかかわっていた。 【一般産業】だけが【儲かって】も、それは【景気の向上】にはつながらない。 大規模な【軍需産業】の【雇用】などにかかわるので、それだけでは【不十分】だった。

そして【当時の日米首脳会議】では、日本に対して、しきりに「兵器を買えよ~」「自衛隊用に兵器を買ってくれよ~」と【恫喝まがい】迫っていたのだけど、日本も【国内事情】があるから、なかなか首を縦には振らない。 そんな時に、先程のような【ロン】【ヤス】と呼び合うようになって、【日本】は、というか【中曽根元首相】は浮かれた。 【歴史上】まだ誰も【合衆国大統領】と【ファーストネーム】で呼び合ったという【事実】はなかったからだ。

【自分は特別な人間】なのだと、さぞや【中曽根元首相】も【心の中】で【万歳三唱】を送り返していたのではなかろうか? 【そこ】に付け込まれる【形】で【武器購入】が始まったといっていい。

ここに【Noと言えない日本人】が問題視される。 【レーガン】と【中曽根元首相】の【交渉】の骨子は以下の通り【ドル変動制(それまでは1ドルは360円だった)】【自動車の輸入を増やす(日本側が)】 しかし、これが上手く進まなかったために【自動車がだめなら兵器にしろよ】【軍用機を買えよ】という方向に進みだした。

この当時の【新聞の見出しの差】 日本:【日米経済摩擦】 アメリカ:【日米経済戦争】 つい先頃までの【中国】に対する【アメリカの姿勢】と同じだった。

アメリカ】は【経済大国】になりつつある【日本】が面白くなかった。 だから【1ドル360円】の通貨を【変動制】にして日本の【利益】を減らし【アメリカ】の【負担】が少なくなるようにしたかった。 この時【レーガン】はハッキリと【ドル変動制にしよ】と言っていたんだけれど、【中曽根元首相】は、うん、でもまぁわかるよね、日本の世論とかさぁ。 という感じで【言葉を濁して】回答を避けた。

しかし、ハッキリと【いや、ダメだよ、できないよ、そんな事】とは言ってなかったので、なし崩し的に【ドル変動制】になってしまった。 おまけに【自動車】はもとより【兵器】までも【買わされる羽目】になる。 私は【某自動車会社の向上】で【ラインマン】として働いていたから「アホか!?」と思ってしまった。 物を売りたかったら【売る国】を【リサーチ】して、その国に【対応】した物を作る必要がある筈なのに、【アメ車】みたいな【バカでかい車】を日本の【どこで】走らせるつもりなんだ? 【ガソリンをばら撒きながら】走るような【燃費の悪い】製品に【お金】を出せるのは【お金持ち】くらいだ。(当時は確か1リッターで3キロくらいしか走らなかったアメ車) 【企業努力】もしないで【風土】に合わない【自動車】を買えというのは、あまりにも【理不尽】だよね。

おまけに【防衛費】も【帳面面】だけは【予算以内】に見えて、実質は【予算オーバー】の買い物を【強いられた】 という【事情】もあったので、【ストレート】にものを言う【欧米人】は凄い。というか【ある意味で尊敬】もしたりしたけど…。

【コロナ禍】というものを2年も経験してみれば、【そうじゃない】という事にも【気が付く】 【欧米人】は【ストレート】に【しか】話せないんだ。 【言葉の文化】というものが、【全くない】

だから【日本語】のように【他の言い回し】とか【ニュアンス】で伝えることも【出来なければ】【感じ取る事】も【出来ない】。 【極論】だけど【日本の幼児並み】の言葉を【使う】他にできないんだ。

【外国人】にとって【日本語】を学ぶのは、ずっと以前から【難しい】とされてきたのは、【日本語の中】にある【様々な表現】を【理解できない】からだ。 【数十年前】の【本】以降で。日本人は【母国】を【卑下】しすぎていると思う。 けれども、それは【違う】 【日本人】の方が、より【言葉】を巧みに【操って】【遊ぶ事ができる】 【文化的】には【優れている】民族なんだ。

でも、【洋画の中】や【海外の小説】の中には心に沁みる【良いセリフ】が、沢山あるじゃないか。 そういう人も多いと思うのだけれど、【それ等】は【日本の翻訳者】が【日本人】に【わかりやすい】ように【和訳】した結果なんだよね。 つまり【何の変哲もない】英文を【感動的なもの】に作り変えてきたのは【日本の翻訳者】なんだよ。 多くの人達の中に【残る】ような【名セリフ】は日本人が【物語】を【盛り上げる】ように【置き換えてきたもの】に過ぎない。

例えば【I am】という【一人称】を【俺】と訳すか【私】と訳すのかは【翻訳者】が決める。 これだけでも【物語】の【印象】は、かなり【変わる】 「俺は~」と言わせれば、ちょっと【アウトロー】的な【印象】を持たせることができる。 逆に「私は~」と言わせれば【紳士的な印象】を持つ。

【女性】でも「あたいはさぁ~」で、【下卑た】印象を持たせられるし、「わたくしは~」では【上流階級】の女性を【演出】できる。 こんな【言葉の魔力】は日本人でなければ【表現】できない。 だから【日本人】はもっと【胸を張って】良いと思う。

何でもかんでも【ストレート】に言いすぎるから【諍い(いさかい)】が生まれ、それが【肥大化】したものは【戦争】になる。 【愚の骨頂】だと思う。 他国よりも【優れた文化】がある。 それだけでも【自ら】を【卑下】する必要はないし、逆に【誇れる文化】だと【発信】していいと思うのでありました。まる。