ヒロリン雑学ブログ

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アニメの話 3

アニメの話 3

伝説巨神イデオンその3

伝説巨神イデオン】は文化の異(こと)なる【異星人同士】が不幸な【出会い】をしてしまうところから始まります。 そして、その【文化の違い】から【誤解が誤解】を生んで【武力衝突】が【拡大】していく【物語】です。 【異星人バッフクラン】の母星(ははぼし)に残る【無限力(ちから)イデ伝説】 それに基づいて、【地球人】の移民星【ソロ星】にやって来た【バッフクラン】の【イデ捜索隊】 一方、地球人達は【ソロ星】に埋もれていた【第6文明人】の【遺跡】を掘り起こして【組み立てて】いた最中だった。 この場合の【第6文明人】というのは【地球人】が遭遇(そうぐう)、またはその【痕跡(こんせき)】を発見した【6番目の文明人】という事です。

【バッフクラン】の【宇宙総軍】の【司令官ドバ・アジバ】の第二王女【カララ・アジバ】のちょっとした【好奇心】から始まった【不幸】な出会い。 いきなり襲撃された【地球人】は【生き延びる】ために【戦い】 【バッフクラン】は【無限力イデ】の片鱗(へんりん)ともいえる【第6文明人】の遺跡【イデオン】と【ソロシップ】奪取(だっしゅ)し、同時に【異星人】の中に紛れ(まぎれ)込んでいると思われる【カララ】を救出するために【攻撃】をやめる事はできない状況にあった。 双方(そうほう)共に、幾度(いくど)か【戦闘】を【中止】して【話し合いの場】を作ろうとするのだけれど、その機会を【文化の違い】とそれぞれの【エゴ】によって【潰(つぶ)して】しまう。

そう、この物語の【根幹(こんかん)】にある【テーマ】は【無限力イデ】の向こうに隠(かく)されている【人の持つエゴ】になる。 人の【我欲(がよく)】つまり【エゴ】と【エゴ】がぶつかり合った時に、人は【文明人】として【紳士的】な【話し合い】で解決する事ができるのか? そうしたところにも【言及(げんきゅう)】している【物語】だと、私は思っている。 【イデ】という力は、私の目には結果的に【破壊神シヴァ】の【物語】のように思えた。 それは【最終的】には、この物語は【破壊(はかい)】と【再生】を意味しているように思えたからなのだけれど。

そうした【思い】は現在【販売】または【配信】されている【劇場版・接触編】と【同・発動編】を観ただけでは【理解】出来ないと思うからだ。 この【劇場版・接触編】は膨大(ぼうだい)な【TVシリーズ】の【ほぼ全編】を【集約】したものになる。 【富野監督】が作りたかったのは【劇場版・発動編】だったと、よくわかる作品になっている。 これも【エゴ】である。 【TVシリーズ】を観た人に向けて【物語】の終わりをちゃんと【提示(ていじ)】したかったのではないか? と思うのは【ファン心理】だ。 単純に【富野監督】はきちんと【終わらせたかった】のだと思う。

【TVシリーズ】では【スポンサー事情】とかの【制約】があって、【中途半端】に終わってしまった【物語】を自分の【伝えたかった】本当の【ラスト】を描きたかっただけなのではないか? そう思えて仕方がない。 それが【劇場版】を見に行った【ファン】として感じた事になる。 でなければ、あんなに【アンバランス】な構成になるわけがない。 【ファン】であっても「これはTVシリーズを観ていない人にはちんぷんかんな物語のなるんじゃない?」 そう思えたほどだった。

それほど【伝説巨神イデオン】の世界は【深い】 ただ、それは【物語】の見方によって、【人それぞれ】で大きく変わるだろう、とも思える。 そこに何らかの【意義】を見つけようとすれば、私のような【意見】を持つ者が沢山(たくさん)【現れる】だろうし、【表層(ひょうそう)的】に単純に【楽しんで】観ている人には「面白かった」で終わる内容だと思う。 だからといって【鬼滅の刃】の【伊之助】ではないが「すごいだろう、俺は。すごいだろう、俺は」と言いたいわけではない。 【映画】や【アニメ】、【マンガ】に【小説】【ドラマ】 それをどんな風に楽しむかは人それぞれである。

それは【その人】の感性に委ね(ゆだね)られる。 ここで紹介したのは「こんな風に観たら、また違った面で楽しめるよ」という、それだけのものになる。 【提案】にもならない【私なり】の【楽しみ方】と【感想】を述べたかったにすぎない。

だから、これまでに書いてきた物語の【先(さき)】は書かない。 【興味】を持った人が【改めて】または【初めて】観る時に【終わり】が見えてしまっていては【楽しみ】が減ると思うからだ。 しかし、今時の人というものは【ニュース】でしか知らないけれど、YouTubeなどにアップされている、なんと言ったっけ? 映画をかいつまんで【紹介】している【5分から10分程度】の【動画】を見て満足しているらしいから、こうした【思い】も【無駄】なのかもしれない。 あまりにも【軽い文化】だなぁと思っても【世の中の流れ】だから良いのだろうか? なんでもかんでも【最新】であると発信されたら、それに乗っかる事が良い事なのだろうか? 【多様性】とか【LGBT]とかいう言葉が私は【嫌い】だ。 自然の摂理(せつり)に反(はん)している。

今迄も何度か書いてきたと思うけど、生物の【存在意義:レゾンデートル】の【第一義】は【種の保存】である。 それを【悪しき因習】とする向きの多い、この意見は【人】を含めた【生物】の【存在】そのものを【否定】するものだと、私は思う。 それは【悲しい思い上がり】だ。