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天皇家とは何だろう?その2

天皇家とは何だろう?その2

先ずは歴史を知ろう

宮家、天皇陛下の血族の歴史は長い。 しかしながら、その大半は【政治利用】されてきた【歴史】でもある。 【明治維新】というものがあった。 この事により、【明治天皇】がクローズアップされたのだけれど、【明治天皇】ですら【政治利用】されている事に気が付いていない人が多いと思う。

そもそも【明治維新】の真実を知らい人が多い。 一ヶ月くらい前だろうか? 【インターネット】の【ニュース一覧】のページに「薩摩出身の、明治新政府の大臣の某(なにがし)は、明治天皇をも畏れぬ(おそれぬ)豪胆(ごうたん)な~」という見出しがあった。 一言一句、間違えないで覚えてはいないので、多少の違いはあるだろうと思うけれど、要約すると、そういった事を書いた記事があった。 「それは、そうだろう」と記事を読む必要もなく、私は思った。 【明治維新】にとって、後の【明治天皇】は祭りの【神輿】の如く【担ぎ出された存在】であった。

明治維新】とは、どうして起こったものか。 ここを知らない人は多い。 【明治維新】は【自己都合】と【保身の為】に起こった【出来事】だ。

事(こと)の発端(ほったん)は【ペリー来航】である。 浦賀沖に4隻の【蒸気船】で【ペリー】が来た事によって、【内政】が大きく乱れた。 この時【長州藩士】の【吉田松陰】は、かねてから学んでいた【蘭学(らんがく)】などで得た【知識】を【実際】に【自分の目で見るチャンス到来】とばかりに【密航】を企て(くわだて)て、4隻の【蒸気船】のひとつに潜り込むのだが、船員に見つかって【幕府】に突き出される。 【ペリーサイド】としては【交渉を有利に進める為】の材料の一つとして【幕府】に【恩】を売りたかったみられている。 この時の【行い】によって【吉田松陰】は【長州藩の江戸別邸】扱いとなり、【江戸別邸】に【幽閉】される事になるのだが、現在の世田谷にある【松陰神社】はかつて【吉田松陰】が【幽閉】された【長州藩、江戸別邸】の跡地に作られたものだ。

その【吉田松陰】は【国許(くにもと)】に送り返された後に、【松下村塾(しょうかそんじゅく)】という【私塾(しじゅく)】を開く。 そこに【塾生】として集まったものの中には【幕末】から【明治新政府】に至るまでの【有名な人材】が沢山いた。 【桂小五郎】【久坂玄瑞】【高杉晋作】など、そうそうたる【顔ぶれ】なのだが、これらの【若い長州藩士】が弾け(はじけ)た。 簡単に言えば、【4席の蒸気船】に【畏怖(いふ)の念を抱き】今で言えば【弱腰外交】に終始する【幕府】を【歯痒く(はがゆく)思った】 【松下村塾】で学んでいた経験から、「このままでは【清国(しんこく)】同様に、【列強(れっきょう)国】の【植民地政策】の【餌食(えじき)】になる」と思ったからだ。

この時、【長州藩士】であった彼等の頭の中には【日本国】という言葉も【定義】すらもなかった。 あくまで【藩(はん)】が【母体】であり、【それらの【藩】】を統括(とうかつ)する者が【幕府】であるからだ。 【この事】によって【幕府】を【軽視】する風潮(ふうちょう)が、あまた見られるようになったので、いずれにしても【何らかの形】で【幕府】は瓦解(がかい)していたとは思う。 とまれ、【幕末】の世である。 この時に誕生したのが【攘夷(じょうい)志士(しし)】という言葉である。 【この言葉】は【幕末】の【乱れた世の中】にあって、大変、便利な【言葉】となった。

【世の中】にあぶれた【浪人】は、この【攘夷志士】を利用して【強請り(ゆすり)・たかり】が非常に楽に出来るようになったからだ。 つまりは【商人】の中でも【豪商(ごうしょう)】と言われるような【お金持ち】の【家】に押しかけて、「俺達が守ってやっているんだから、金を献上(けんじょう)しろ」という事だ。 いう事を聞かないと、使用人を斬ったり、付け火(放火)をして脅す。 こうした【無頼(ぶらい)の浪人】を取り締まる為に、京都で結成されたのが【新撰組】という事になる。けれど、今は余談。

話を戻すと、そうした【乱世】になって【幕府】から見て、【常軌(じょうき)を逸し(いっし)た】振る舞いをする【長州藩】は、【目障り(めざわり)】でしかなかったわけで、【長州征伐】を2回、行う事となる。 これにより、【長州藩】は【存続の危機】を迎える事になって【幕府を倒すか、このまま取り潰され(とりつぶされ)るか】の【二者択一】の選択を迫られ、【倒幕】に傾いていく。 【この時点】での【長州藩】の立ち位置は、あくまでも【倒幕】であった。 【尊王攘夷(そんのうじょうい)】等ではなく、あくまでも【長州藩の存続】をかけての【倒幕】しかなかったわけである。

それが何故、【天皇家】に結び付くのかというと、【一人の浪人】がいた。 【土佐藩、脱藩(だっぱん)】の【浪人・坂本竜馬】である。 この男は【自分のしたい事】の【障壁(しょうへき)】に幕府がなっている、という認識を【幕臣(ばくしん)、勝海舟】に教えられる。 それから後には、【坂本竜馬】の頭の中に【倒幕】という【二文字】が躍る事になる。 それを考えた時に【長州藩の危機】は見過ご(みすご)せない状況であり、その【窮地(きゅうち)】を救う為に【積年(せきねん)の恨み】を抱える【薩摩藩】との【連合】を企てて、実行に移した。 それが【薩長連合】の始まりである。

こうした【2回に渡る長州討伐】と【薩長連合】の結成を経て、ようやく【天皇家】の出番となる。 つまり「このままではヤバい」となって。どうすればよいのか?を考えた時に【古事(こじ)】に倣って(ならって)【天皇陛下の御赦し(おゆるし)】を戴ければ【幕府】を【朝敵(ちょうてき)】として討つ事ができる。

大雑把で、私見になるけれど、どう読んでも、何度読んでも、読めば読むほど、こうした【各個の事情】によって【明治維新】は遂行(すいこう)されて、どの藩も。誰の頭にも【日本】という概念(がいねん)さえなく【自己都合】によって完了されたものが【明治維新】だと思っている。 【坂本竜馬】は【英雄視(えいゆうし)】されているけれど、彼の【頭の中】には【大型の蒸気船で、自由に海外と交易をしたい】という願望があるだけだった。 【長州藩】は何度も書いたけど、【藩の存続】をかけて【倒幕】を打ち出した。 【薩摩藩】は【江戸】から遥かに離れた場所を【領地】とされた、いわゆる【冷や飯食い】の【処遇】に対する【不満】が【積年の恨み】となっていた。 これらの【状況】が絡み合って、成り立ったものが【倒幕→明治維新」へと繋(つな)がっている。

じっくりと読んでもらえれば、わかってもらえると思っているけど、【薩長】と【坂本竜馬】の三者の思いが重なって【倒幕】を為す為に【政治利用】されたのが【明治天皇】であったと思っている。 それほど【天皇陛下】というものの【勅使】は重い。 という事の【証明】にもなるのだけれど、それが故に【政治利用】されてしまう事も【歴史上には多々ある】事だったと思う。