ヒロリン雑学ブログ

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神話と宗教その6

神話と宗教その6

【火】とは【人】にとってのタブー?

【プロメテウス】が【人】に【火】を教えた事を、【ゼウス】がこれほどまでに激怒(げきど)し、【プロメテウス】を過剰(かじょう)といって程の極刑(きょっけい)で処刑したという事は、どういう事なのだろうか? ここに、ひとつの【対比対象(たいひたいしょう)】となる【神話】がある。 それは、日本の【古事記】である。 【ギリシャ神話】はヨーロッパに広く伝わる【神話】であるのに対して、【古事記】は【東洋】の島国に伝わる【神話】なのだけれども、興味深い【神様】がいる。

元々【古事記】における最初の神様の存在は、ひどく曖昧(あいまい)だ。 最初に「二柱(ふたはしら)の神がおわして」のように始まる。確か三柱(みはしら)ではなかったように思う。 ただ、この【二柱】と【三柱】の神は、前後して登場することは確かだ。

そうした神が、海の中に【長い槍(やり)(ひょっとしたら【棒(ぼう)】だったかもしれない)】を刺し込んで、引っ掻き(ひっかき)回して【日本】の基(もと)になる島を作ったとされている。 そうして、【島】ができてから【人】を作った。 それが【古事記】に登場する、様々な神の親である【伊弉諾尊(いざなぎのみこと)】と【伊弉冉(いざなみ)の尊(みこと)】となる。 そうして【伊弉諾尊】の出来余ったところと【伊弉冉の尊】の出来足りなかったところを合わせて【子供】を作りましょう。 と【伊弉冉の尊】が提案をして【子供】である【神々】を生むことになるのだけれども。 さりげなく、【自然の摂理(せつり)】というか【性教育的要素】が入っている事には、最初に読んだ時に驚いた。

少しばかり端折って(はしょって)、話を進めるけれど、そうして、次々と色んな【神様】が生まれていく時に、【事件】が起こる。 それは【火の神様】である【加具土命(かぐつち)】を【伊弉冉の尊】が産み落とした時に起こった。 【古事記】の不思議は、神様なのに【子供を産み落とす時】の様子は【人】のそれと同じなのである。 つまり【お母さん】の【胎道】を通って、生まれてくる。 ここで、思い出してほしいのは【加具土命】は【火の神様】であるという事だ。 その躰(からだ)には【強烈な炎】をまとっている。 という事は、生れ落ちる時に、その【炎】で【お母さん】に重篤(じゅうとく)な【火傷(やけど)】を負わしてしまうという事だ。

なので【加具土命】は生まれ落ちた時に【母親殺し】の【大罪人】と、なってしまう。 そして、それを知った父親の【伊弉諾尊】の【逆鱗(げきりん)】に触れて、生まれてすぐに【父親】の手によって、その全身を【なます切り】に斬り刻まれて殺されてしまう。 つまり「生まれてすぐに【母親】を殺し、直後に【父親】に処刑されてしまうという【短命な忌み児(いみご)】であった。 【古事記】の中の【加具土命】という存在は、これだけの表記しかない。 その【加具土命】の存在を面白おかしく【悪役】として登場させている小説やマンガなどは、あまたあるのだけれども…。

ちなみに、よく知られる【神様】の【天照大御神(あまてらすおおみ】や【月読(つくよみ)の尊(みこと)】、【素戔嗚(すさのお)の尊】はこの後に生まれてくる。

また余談になるけれど、【伊弉冉の尊】を失った【伊弉諾尊】は【虚ろ(うつろ)】になり、何もする気になれなかったので、【黄泉平坂(よもつひらさか)】を下り、【黄泉(よみ)の国】へ【伊弉冉の尊】に会いに行くことになる。 そして【黄泉の国】の入り口で【伊弉冉の尊】と話をして「黄泉返って(よみがえって)くれないか?」と言うと【伊弉冉の尊】は「私は、黄泉の国の王に可愛がっていただいていますので、頼めば何とかなるかもしれません。暫くそこで待っていただけますか。私がここに戻るまで、決して中に入って来ぬように」と言い残して奥へと去っていく。 しかし、【伊弉冉の尊】と再び会う事を【一日千秋】の思いで待っていた【伊弉諾尊】は逸って(はやって)いた。 暫くは大人しく待っていたものの、辛抱(しんぼう)しきれなくなって【黄泉の国】の中に【伊弉冉の尊】を捜しに入ってしまう。 そこで、醜く(みにくく)【変容(へんよう)】した【伊弉冉の尊】の姿を見てしまい、また【伊弉冉の尊】にバレてしまう。 女性にとって【醜い姿】は愛する人には見られたくないものだ。

と同時に「何故、待っていられないのか」という思いもあって激怒してしまう。 慌てて(あわてて)逃げだす【伊弉諾尊】。 それを逃がすまいと【伊弉冉の尊】は【醜女(しこめ)】を使って、後を追わせる。 この女の足が、これまた速い。 先を逃げている【伊弉諾尊】に、見る見るうちに追いついてくる。 やむなく【伊弉諾尊】は持っていたお結び(おにぎりの事です)を【醜女】に向かって投げつけると、意地汚い(いじきたない)【醜女】はそれに注意を奪われて(うばわれて)、ひとつ残らず食べている。 けれど、食べ終わると、またすごい勢いで追いかけてくる。

で、ここからの話には二つの【説】がある。

ひとつは、やっと【黄泉の国】の出口に辿りついた【伊弉諾尊】は最後の食べ物である、【桃】を【醜女】に投げつけて【醜女】がそれを食べている間に【黄泉平坂】を駆け上り、【黄泉平坂】に大きな石で蓋(ふた)をして、逃げ延びた。 もうひとつは、【黄泉平坂】を駆け上がって、逃げる途中で【桃の木】を見つけて、その陰に隠れたら【醜女】は【伊弉諾尊】の姿を見失って、引き返していった。 と言われるものである。 どちらの【話】にも【桃】が登場する。 つまり【女の子の節句】の事を【桃の節句】と呼ぶようになったのは、この話に起因(きいん)するのではないかと思う。 他にも【桃太郎】は鬼退治をするお話なんだけど、その底には【桃】は【魔除け】の意味を持って、出来上がった話ではないかとも思っている。

もう少し、寄り道をすると、【桃の木】というものは日本だけではなくて、【中国】の古い【不思議話】の中にも登場する。 中国の一角の、とある家の主人が亡くなった。 新盆(にいぼん)の日に、飼い犬がやたらと吠える。 「何だろう?」と思っていると、生まれて間もない幼児が宙に浮きだした。 よくよく目を凝らして(こらして)みたら、先日亡くなった、主人の姿が見えてきた。 「よくもまあ、お帰りなさい」と家人(かじん)は喜んで、お盆の間中、主人をもてなした。 そうして【お盆】が終わり、主人も【あの世】に帰らなければならなくなった日に、亡くなった主人は言う。 「庭に生えている、あの桃の木を何とかしておいてくれないか。特に枝が〇〇の方(方角は忘れてしまいました)に伸びていると、家に入りづらいのだよ」 そう言って、亡くなった主人は【あの世】に帰っていった。

つまり、【中国】でも【桃の木】は【魔除け】の役目があるという事を表している、そういうお話であったと思っている。 うん、不思議だ。