ヒロリン雑学ブログ

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アニメと私その4

アニメと私その4

ガンダム発表後

機動戦士ガンダム】がテレビアニメで発表された後、色々なロボットアニメが作られた。 なんだか、相当な後になって、【凡才の仕事術】とかってYouTubeに動画がアップされていたような気がするが、確かにこの監督さんと同じように勘違いした、一部マニアックなファンに支持されたアニメがあった。 【ガンダム】で大人の鑑賞(かんしょう)に堪え得る(たえうる)アニメも作れるのだ。と思ったのだろうと思う。 やたらと大人の世界観や事情を前面に押し出した設定。 そして、ロボットも今までのような【正義の味方】感のない無機質な、いかにもメカっぽい物でも十分なのだ。と思ったのだろうと思う。 おかげさまで、退屈な話にスピード感や30分の中に大した山場のない演出がなされたロボットアニメが作られることになった。

あくまでも私の私見の話なんですけどね。 私はそう感じたので、2話以降一切観ていませんし、1話を観て全く興味を失っていました(^^;) タイトルを出すのは心苦しいのですが、これが【太陽の牙ダグラム】というアニメに持った私の感想です。 この作品は今でも一部ファンによって多大な指示を受けているのは承知しているのですが、この作品のターゲットはどこなの? 小学生なのか、中学生なのか、それとも高校生以上をターゲットとして制作されたものかが、私には未だ(いまだ)にわからない。

富野監督の作品は、基本的には少年向けである。 その少年向けの【ロボットアニメ】というカテゴリーの中で、どれだけの話を作ることができるのかを模索(もさく)していたような気がしている。 だから、敵役のロボットは自由な発想のもとに製作を依頼しても、主役メカである【ガンダム】【ガンタンク】【ガンキャノン】に関しては一見して主役メカとわかるデザインにしている。 しかしながら、やはり注目されたのは、これまでにない無機質なメカっぽいメカ【ザク】のデザインで、それは秀逸だった。 デザイナーは【大河原邦夫】さんなのですが。 ここでの勘違いが一番多かったのではなかろうか?

ロボットアニメの主要メカは、あくまでもロボットらしいロボットで良いのだ。という事になってしまったんだろうと思う。 先程、名前を挙げた【ダグラム】はまさに主役メカとしての格好良さがない。 その他大勢のロボットに混じって違和感のないデザインだった。 つまり主役メカとしては、かなり華やかさに欠ける。 最初に疑問点として伝えたように、これは誰に見せようと思って作られたのか?その対象年齢がわからない。 これはもう、勘違いしたアニメファン向けの同人レベルのアニメだったと言ってもいいと思っている。 それをプロが作るのは卑怯(ひきょう)ではないですか?とも思ってしまう。

子供には退屈極まりないような【政治向き】の話も随所(ずいしょ)に表現されていた。 表面的になぞっても面白いものは作れない。 それを証明したようなアニメだった(私の中では) ガンダムという作品には【物語】があった。 それも多分に勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の作品が多かったロボットアニメというジャンルの単純明快な【物語】とは一味違う【群像劇(ぐんぞうげき)】だった。 それだからこそ、物語に【幅】と【厚み】が出せたのだと思っている。 登場人物に、それぞれの過去があり、またそれぞれが過酷(かこく)な戦場を体験する中で成長していく姿が鮮明に表されていた。 更には【宇宙】という過酷な環境下における【人と人との共鳴作用】つまりは広大な宇宙という環境に出されてしまった人が人を求める作用が大きく膨らんだものが【ニュータイプ】ではなかったのだろうか?と個人的に推察(すいさつ)してしまう。

宇宙では宇宙服のすぐ向こうに【死】が待っている。 それが戦時下で【モビル・スーツ】と呼ばれる物の中にいても同じことだ。 戦争中なら【モビル・スーツ】の中でも攻撃を受ければ即死亡する。 そうした極限状態の中にいる人は【無意識】に同胞を心の底から呼ぶのではないだろうか? そうした人の心が増幅されたものが【ニュータイプ】の持つ特殊能力に繋がって(つながって)いるのではないか? と、これも個人的に推察してしまうのでありました。 ガンダムの最新作【Gにレコンギスタ】に於いて(おいて)もニュータイプ同士の心の共振(で、いいのかな?)が描かれている。 主人公の【ベルリ・ゼナム】と【アイーダ・スルガン】の間で劇場版では描かれている。

富野監督のライフワークになっているのかな?