X-MEN三部作
先日【YouTube】で観た【デッドプール&ウルヴァリン】が面白かったので、手元にある【X-MEN】の三部作を見返してみた。
ウルヴァリンというかヒュー・ジャックマンが若い。
あたり前っちゃ当たり前なんだけどね。
2000年から2006年までの間で作られた一連のシリーズだったみたいだ。←これは検索して調べてみた。
2000年といえば、私が体調不良も甚だしい状態だったので、身体中に膏薬(サロンパスのようなもの)を貼りまくったり、痛み止めを飲みながら仕事に言っていた時期だ。
それなので、映画館に行って観たから気に入って手元に置いていたものではない。
X-MENは1994年から日本では放送されていたアニメを見てから気に入っていたので、意地になって観たのではないだろうか?
このアニメの不思議なところは【本編】はどう見ても【アメリカ制作】なのに【オープニング】のアニメの動きが良すぎて「これって、オープニングだけは日本のアニメ制作会社が作ったんじゃ…?」としか思えなかったところであったりする。
このアニメでは【スコット】こと【サイクロップス】がリーダーでX-MENを仕切っていた。
なので、ストーリーもサイクロップスを中心に進んでいたと記憶している。
わたしが【ウルヴァリン】を気に入ったのは、同時期に販売されていた【日本語に訳された】X-MENのコミックスを読んでからだったと思う。
この時期の【X-MEN】を描いていたのは【ジム・リー】という人で、その絵柄には憧れたものである。
そんなこんなで、映画の実写版【X-MEN】を観た時には…。
「なんで、マグニートはこんなお爺さんが演じているのだろう?」と思ったものだった。
今になって観返すと、ちゃんと年相応の役者さんが演じている。
「あの頃の私はぶっ壊れていたからなぁ」
としか思えない。
しかし、ここまでに至るまでに、他のいろんな物を観ているので、また新しい感想も湧いてくる。
【X-MEN3】の【ファイナルディシジョン】というサブタイトルがつけられた(事実上の第一期の最終作品)では、最後に【ジーン・グレイ】が暴走してしまうのだけれど、そのシーンは、まるで【Gのレコンギスタ】の究極兵器【フォトン・トルピード】の如き凄まじい破壊力だった。
人体が【塵あくた】のように分解されていく。
この作品では【ミュータント】に集約されているけれど、その特異な能力’・超能力は、私が小学4年生の頃に絶賛連載中だった【バビル二世】以来の憧れだった。
ただ、単純に「凄い、格好いい」という理由で憧れていたけれど…。
この年齢になって、改めて【X-MEN】を観ていると「なるほど、人類対ミュータントという図式になるのも納得がいく」と思った。
確かに、【ミュータント(超能力者)】が自分の近くの【どこか】にいるとなったら、怖いよね。
だって【思う】だけで【思念】だけでいろんな事が出来てしまう。
ミュータントが【全員善人】だという保証はどこにもないのだから…。
これは【多国籍国家】のアメリカだから、こうした【疑心暗鬼】的な物語になったのかもしれない。
単一民族に限りなく近い日本だから【バビル二世】のような【正義対悪】という物語は成立していたのかもしれない。
それから、基本的に自分の周りに、そんな悪党はいない。という【安心感】というものもあったのかもしれない。
その日本人の定理。ともいうべきものが近年、影を潜めてきているのは…。
とても悲しく思えたりするのだった。