人間とは…
「人間とは、いつまで経っても学ぶことを知らない愚かな種だな」
というのは、一昔前(10年~20年程前)のアニメや映画の中で敵の親玉役の吐くセリフにちょくちょく使われてきたものだ。
最近までは、「なるほど、言い得て妙だな」と思っていた。
ゴミを【海や川・山】に捨てる。
それは、自分の目につかないところだから【悪い事をした】という意識が薄れるからだ。
これらが木製の家具などの時代は良かった。
放っておいても、自然に分解されて自然に返る。
しかし、石油(重油と言ってもいいけど)から派生したものに限っては違う。
ナイロンもビニールもプラスティックも、自然に分解されることはない。
だから何十年も前から、ゴミ出しは【分別制】になっている。
ペットボトルはキャップを取り、ラベルを剥がしてペットボトルとして【決められた日】に捨てなければいけなくなっている。
しかし、例えばフェリーなどに乗っての船旅で、船内で買った菓子パンを包む袋や飲み物などの商品は、ゴミ箱があっても気軽に海に捨てられていたりした。
そうして海中を漂う、そういったものをウミガメさんが大好物の【クラゲ】と誤認して食べてしまう。
そうすると。それらのビニール製品などは、胃液でも溶かしきることができずに、また、気道を塞いだりして大量にウミガメさんが死んだりした事例は多い(10年以上前の話かな?)
そうした研究結果が発表されて、ビニールやナイロン製品の取り扱いが厳しくなってきた。
今の、スーパーなどでのレジ袋の購入なども、そうした事を受けての処置の一環ではなかろうか?
それ以前を知っている世代にとっては不便この上ないのだけれどもね。
人の特性として、目につかない場所、もしくは大量の何かの中へ捨ててしまえば安心。
というものがあるのかもしれない。
例えば宇宙だ。
正しくは成層圏の、地球の周回軌道上。
ここにも、大量の宇宙ゴミ、【スペース・デプリ】と呼ばれるものがある。
有史以来の【人工衛星】の成れの果てが、未だに回収される事なく、大量に周回軌道を回っている。
スペースシャトル時代に、いくつかが回収されたけど、あれはパフォーマンスだ。
本気での宇宙を綺麗にしようという行動ではない。
普段、目にする事のない空間である。
しかも一般人の私達には、ほぼ無縁の場所だから、未だに手が付けられていない。
大震災後の福島の原子力発電所。
その処理水が、海中に放出される。
専門家は、海中に混ざれば濃度は低くなり、自然界に存在するラジウムよりも低い水準になるから、安心だ。
と言っている。
それは確かな事実だろう。
しかし、自然界のラジウムと人為的に作られたものとを同じ土俵に置いて考えていいのだろうか?
素人ゆえの単純な疑問ではある。
そうした海中で育ったプランクトンなどを食べて成長した小魚を大きな魚が食べて、という繰り返しの中で、最終的にそれらを人間が食べる。
それで人間に害はないのだろうか?
専門家というのは、必要だ。
しかし、専門家故に、目の前の事に注力しすぎて、全体像が見えなくなっているという状況も、多く存在する。
専門家というものを、あまり信用しなくなったのはコロナウイルスが出回ってからだけど…。
横道にズレたまま、ここまで書いてしまった(^_^;)
「人間は学ぶことを知らない」訳じゃない。
という事を書きたかった。
まだ発展途上にあって、全ての検証を今しているところだから、何も解っていない。に等しい。
重油を生成して、創り出した【便利】な商品も、実はこんなところに害があった。
という事で軌道修正をし始めたのが、30年程前からだろう。
フロンガスだって、発見された時(もしくは作られた時(?))には「人体には無味・無臭・無害で安心だ」として工業用に大量に使用されていた。
初期のガスガンもBB弾を発射する為に使われていたのは、フロンガス。
問題になるまでのヘアフォームなどのスプレー製品もフロンガス。
殺虫剤などのエアゾールもフロンガス。
なんでもそうなんだけど、検証ができるまでに要する期間は【何十年単位】を必要とする。
政府や他国が必死になって打てと言っている【コロナ・ワクチン】も正式に「人体に異常は出ない」とされる検証ができるまでは、まだ数十年を要する。筈だ。
早くても、後10年は様子を見ないと、、何もわからない筈…。
人類の生活は豊かになった。
文明は発達して、いろんなものが自動化されて、考えなくてもボタン一つで何でもできる。
けれど、それらのものが本当に人にとって有用かどうか?
今はまだ検証期間なのだろうなぁ。と最近になって思い始めた。