ヒロリン雑学ブログ

時事ネタや歴史、漫画アニメネタの雑学ブログです。

作品の持つ意義

作品の持つ意義

子供の頃はテレビの特撮番組を見る方が早かったから、原作の漫画がある。と思って読んだだらガッカリした。
というものは数多い。

【仮面の忍者 赤影】がそうだった。
テレビの中の【青影】は子供で親しみが持てたのに、原作の中では大きなお兄さんとして描かれていて、赤影に対して反論していたりしたので、一気に原作を読む気がしなくなったのを憶えている。

でも、もう少し大きくなって色々とわかってくると、原作にハマりだした。
仮面ライダー】とかが、そうだった。
でも、あれも最初はテレビ先行で見ていたので、テレビはテレビで楽しんで見たんだけどね。
楽しんで見たといっても、【本郷猛】と【一文字隼人】が好きだったので、【V3】からは、あまり見なくなってしまった。←子供の頃から【こだわり】というか【好き嫌い】がハッキリしていた。

小学4年生の時に仮面ライダーは始まって、同じ年か翌年か?
取り敢えずは、夏休みか春休みくらいに歯の治療に近所の歯医者さんに行ったら、待合室に少年サンデーが置いてあって、表紙を見たら仮面ライダーの文字が…。
喜び勇んで漫画を読んだら、これがまあ、衝撃的な内容で。
本郷猛が変身できないまま、偽物の仮面ライダーの大群に襲われていて、あろうことか偽ライダーに囲まれて身体中を銃弾(レイガンだったかな?)でズタボロに撃ち抜かれるという回だったのでありました。

もう【石森章太郎(後に石ノ森章太郎と改名)】さんの漫画との出会いというのは、こんなのばっかり。
幻魔大戦】の時もそうだったしさ。

テレビとは全然違う展開に興味をそそられてしまった私。
けれど、その時の私は【横山光輝】さんの【バビル二世】を買い集めていた時期だったので、仮面ライダーのコミックスを買うことは諦めざるを得なかったのでありますが。
それから何年か後に、改めて仮面ライダーの原作を読んでメチャクチャ面白かったので、暫くしてから買い集める事になったけど。

いろいろと面白かったのは、漫画だからペンで描いているのに、とても写実的にテレビの仮面ライダーをそのまま1ページを割いて描いていたりしているところとか…。
当たり前だけど、すごく上手い。

それはさておき、原作の中での仮面ライダーは【大自然の使者】となっている。
科学の粋を集めて【改造】されているのになぜ?大自然の使者なのか?
一応は考えてみたけど(中学生になった頃かな?)。
何故、仮面ライダーは【バッタ】という【昆虫】をモチーフにデザインされたのか?
何故、仮面ライダーは【変身】する時に【風】の力が必要だったのか?

この二つに共通するのは【自然】という言葉だった。
バッタも自然の中で生きている。
風も自然が生み出す高エネルギーだ。
仮面ライダーの前に【サイボーグ009】というものを描いているのに、何故、後発の仮面ライダーでは【サイボーグ】とは呼ばずに【改造人間】としたのだろうか?

いろいろな理由は考えられるのだろうけど、私が推測した結果は…。
【サイボーグ】よりも【改造人間】とした方が、より人体を改造するという【非人道的な行為】が強調されるからではないだろうか?
そして、このまま何でもかんでも、暮らしやすく便利な社会になる事への警鐘だったのではないだろうか?
後発のアニメの中でもたびたび使われた「お前は機械を使いたいのか?それとも機械に使われたいのか?」というセリフに込められた思いと同じものを私が小学4年生の頃に、もう憂慮していたのかもしれない。

まあ、勝手な推測なんですが。
ひょっとしたら【自然との共生】というものも訴えたかったのかもしれない。
というのも、勝手な推測なんだけど。
そんな事をつい考えてしまうような、こまっしゃくれた子供ではありました。