ヒロリン雑学ブログ

時事ネタや歴史、漫画アニメネタの雑学ブログです。

ウルトラマンと仮面ライダー

ウルトラマン仮面ライダー

どちらも昭和と平成に新しくシリーズ化されて放送されている。
今朝がたYouTubeをチェックしていたら、仮面ライダーの51話がアップされていて、そのタイトルに【ダブルライダーキック】という文字が見えたので、「おお、本郷猛が出るのかぁ」と思って、思いっきり視聴した。

見ていて思ったのだけど、昭和の昔の方が色んな意味で凝っているな。と感じた。
現在の特殊効果からしてみれば、ちんけなものかもしれないけど、【らしさ】というものがある。
ショッカーは悪の秘密結社であるけど、その当時としては、最先端の科学力を誇る組織だ。
なので、当時の子供達が見れば「スゲー」ってなるような演出がされている。

平成で復活した物は【なし崩し】的に展開していくので、放送されていた頃には、懐かしさもあって楽しんで見ていたけれど、今となっては仮面ライダーである理由付けがないに等しい。

小学4年生の当時の私に、そんな事はわかる筈もなく、毎週楽しんで見ていたけれど。
少し大きくなって、原作をちゃんと読んだら【仮面ライダー】というものの意味が分かってきた。

仮面ライダーは改造人間である。
ショッカーと対峙した時に改造された時の怒りに、顔に改造手術の痕が浮き上がる。
だから【仮面】で、それを隠して戦っている。
これは、物質至上主義の権化であるショッカーというものに対して【大自然の使者(原作にはそう書いている)】である仮面ライダーが立ち向かう。
それが石森章太郎(のちに石ノ森章太郎)さんが伝えたかった本質だろう。

科学の発展は喜ばしい。
しかし、その時に自然をないがしろにしても構わないのか?
そんな問いかけがあるように思える。

ウルトラマンシリーズも、昭和の物は物語が凝っている。
ちゃんとSFしている。
元々、【ウルトラQ】から始まってウルトラマンにつながっているのだから、それも当然だといえば言える。

ウルトラセブンなどは、攻めてくる宇宙人たちの理由付けが凄い。
なるほど、人類に対する危機感というものを問うているのだな。と思える。
子供ながらに、おもちゃが宇宙人に操られて、本物の兵器として使われるなんて設定は、怖かった。
そうした【怖い設定】は他の話でも遺憾なく発揮されていた。

だから面白かった。
帰ってきたウルトラマンは、かなりヘヴィなストーリーだ。
主人公の【郷隊員】の家族のような関係性を持った家族が宇宙人に襲われて殺されてしまう。
確か、足の悪いお兄さんとかわいい妹に弟がいた。筈だ(ちょっと怪しい)

まだ小学生だったから、かなりショッキングな内容だった。
だからといって、今YouTubeに大挙してアップされているような【トラウマ】になるような事はなかった。
再生回数を増やそうと思って、くだらないタイトルばかりをつけているなと、思う。

云ってしまえば、仮面ライダーにしろウルトラマンにしろ、何故そうしたヒーロー達が、そこに存在するのか。
そうしたものの【存在意義(レゾンデートルともいう)】が。きちんと描かれていて、子供向けだからというような手抜きは感じられない。

昔の方が面白い作品が多かったのには、そうした理由があったからだろう。
今の作品は、流行っていても作品自体が非常に軽い、ライトなものが多い。

ああ、ノスタルジー。という内容のブログになった。