ヒロリン雑学ブログ

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富野由悠季監督を褒めちぎる

富野由悠季監督を褒めちぎる

昨日の続きになります

昨日も書いた通り、富野監督のガンダムは当時、誰も知らなかった【オニール】の【宇宙植民島】から、スペースコロニーを引っ張り出して凄いと思わせてくれた。

触発(しょくはつ)されたアニメ関係者も多かった。
それが、私には一つも面白くなかった二つほどの【ロボットアニメ】として制作されている。
要は表面的だけみて、「ここまで細かい設定や【現実に即した】戦争物のようなものが作れるのなら、もっとリアリティを追求して面白いものを作ろう」という【気概(きがい)】は持っていたと思う。

高校を卒業するタイミングで完結した【ガンダム】で、私もアニメの制作に興味を持ったから、その気持ちはわかる。
しかし、それは違う。
面白い作品に出合ったなら、同じようなものを創ってみたい。描いてみたい。と思うのは人の自然な感情だと思う。

けど、元々【アニメ】というものは【子供向けの物】だ。
今でこそ【市民権】を得て、大人向けの物や【ヲタク専用】のマニアックなものまで、多種多様なものが氾濫(はんらん)している時代ではなく、当時の常識では「高校生にもなったら、もうアニメから卒業しなさい」という時代だったので、
当時の私は同級生の子から「お前までこいつにつられてガンダムガンダムなんか言って」とからかわれてもいたのが実情。

話は戻るけど、【そんな時代】に、大人の観賞にも堪え(たえ)得る(うる)ような【ロボット物】を制作しても、それは【一部のマニア】にしか受けないのが当たり前で…。
ガンダムほどの盛り上がりはなかった(敢(あ)えてタイトルは出さない)

では、富野由悠季という監督さんは【何が違う】のか?
富野監督のアニメ作品は、昔も今も変わらずに【子供向け】に制作されている。
劇場版の【Gのレコンギスタ、行け!コアファイター】の公開当時、富野監督は「全世界の子供達に見てもらいたい」と言っていた。
これは「子供達に観てもらって【何か】を感じてもらいたい」という、あくまでも【子供向けのスタンス】をとっているからこその発言ではなかろうか?

現実問題として、監督が何を考えているのかなんて、赤の他人の私にわかる筈もない。
ただ、今迄に制作されてきた一連の【富野アニメ】を見ていると、そうなんじゃないかな?と思ってしまう。
伝説巨人イデオン】だけは、ハッキリと「対象年齢を少し上げて創っている」と何かのインタビューで、監督本人が言っている。
いるから、それまでの【小学生や中学生】よりも上の【高校生当たり】が【ターゲットだったのかな?】と思っている。

けど、それでも社会的には【子供】だ。
ガンダムの前年に始まった【無敵鋼人ダイターン3】は、最後に【含み】を持った終わらせ方をしていたけど、でも最終回はわかりやすかった。

一時期の私は、事(こと)細かい描写が出来る【テレビシリーズ】は富野監督が【第一人者】だと定義していた。
劇場版として2時間弱のアニメを作らせたら【宮崎駿監督】が第一人者だとも思っていた。

だけど、やはり年齢を重ねると人というものは、ある種の【哲学的】なものを求めるのかもしれない。
私の中の宮崎監督作品は、ぎりぎりで面白かったのは【もののけ姫】までだった。
あれでさえも、最後は難解(なんかい)だった。
首を取り返したその後、何か単純に【良かった良かった】で終われない印象が強かった。

あの作品で【宮崎駿監督】が、本当に伝えたかったのは何だろう?
私が宮崎監督作品を好きだったのは【冒険心溢(あふ)れる物語】だったからだ。
ナウシカラピュタ】も、非常に冒険心をくすぐられる展開にわくわくした。
魔女の宅急便】という【女の子が主役】の物語にも、その冒険心は余すところなく描かれていた。
なので、少しばかり難解になって来た【もののけ姫】以降の物語は、観たけど「何が言いたい?何を伝えたい?」という見終わった後の疑問が出来てしまって、初期の頃の作品のように【スカッと】しないのが嫌になってきた。
個人的な感想ですけどね。