ヒロリン雑学ブログ

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人類は淘汰されるべき生物なのか?その2

人類は淘汰されるべき生物なのか?その2

その兆し(きざし)は昔から

さてさてさて、昨日書きたかったことが途中で寄り道したので、今日はちゃんと書きたいな。と思う。

昨日のブログの記事の最後の方、何が言いたかったのかというと、【目の前の事象だけに目を捉われていたら、本当の解決策は見えてこないよ】という事が言いたかった。
もう、トロくなっている老人の運転する車には【運転補助装置】を付けましょう。
ではいけないんだけど、今の高齢者も真面目にかなり【おめでたい人】が増えているから、あまり弁護したいという気持ちもない。

今のように80歳を超えた【老人】が車を運転するのは、ある意味、仕方のない事だ。
いろいろと複合的に、その原因は重なり合って見えにくくなっているけどね。

その原因の【根本】は、多分かなり時代を遡って(さかのぼって)、戦後日本の【復興の象徴】ともいえる【高度経済成長期】から始まっているという、私の私見
ちょうど、世の中が豊かになり始めてきて【学生運動】というものも活発になっていた時代。

その頃の、多くの人の考え方としては「良い大学に行って、良い会社に就職して、ゆとりある生活を手に入れよう」
というものだったように思う。
なにしろ【受験戦争】等という言葉も出来上がったくらいなんだから。
戦後を払拭(ふっしょく)するように【上昇思考】が育ち始めて、目指せアメリカンな生活。

そんな風なご時世だったのではなかろうか?
その頃もっぱら言われていたのが【家付きカー付きババァ抜き】という事で、世の中の女性が挙げる結婚相手に望むものが【それ】だった。
結婚相手は、家を持っていなくちゃいけない。
自動車なんかは当たり前だ。
そしてなによりも【ババァ】、つまるところは【姑(しゅうとめ)】さんがいない事、遠慮して気兼ねをして、尚且つ(なおかつ)【お世話】までさせられちゃたまらない。

それが時流というものだった。

良い大学に行こうと思えば、それは必然的に【首都圏】などの都会に集中している。
大阪とかもそうだけどさ。
で、首尾よく【都会の大学】に入れたら、生活基盤(きばん)は当然の事ながら【都会】になる。
4年間も、そこで暮らせば【彼女】だってできるし、なによりも【良いところに就職して、お金を稼ごう】と思ったら、結局は【都会が就職先】となる。

という事は、自然と【大家族】というものは姿を消すようになって、【核家族化】は否応なく進んでしまう。
ここに現在の社会が抱える色々な事に対しての問題点が生まれたんじゃないか?と思うようになった。

というのも、田舎の暮らしには【自動車】というもの存在は欠かせない。
それでも70年代くらいまでは、まだ良かった。
近所付き合いというものがあって、お隣さん同士が助け合ってもいたからだ。
また車に関して言えば、運転免許を持っていない【老人も多かった】
だから【高齢者が運転をしての交通事故】というのは、今からしたら【雀(すずめ)の涙(なみだ)】だ。

でも、年数が経過するごとに【医療は進歩】して、老人が死ななくてもよくなった。
それまでは死んでしまうような病気も、きちんと手当てを受ければちゃんと治るようになった。
寿命は延びたのに、家族であってもなかなか会えないような歪(いびつ)な世界は広がっていく。

年老いた親は、自分で免許を取って自分の事は自分でしなくちゃいけなくなった。
昔なら、子や孫の手の空いた時に「ちょっと用事があるから乗せて行ってもらえんかな?」
と言えたものが、言うべき相手がいない。
好むと好まざるとにかかわらず、孤独な【ご老体】が増えている。
だから【交通事故】が増えている。
とも思える筈なんだけどね。

欧米に憧れて、【核家族】が増えてきて【困った】のは【高齢者】だけではないと、最近はとみに思う。
誰しも、最初はみんな【子育ての方法】なんかわかる筈もない。
皆が親になって、初めて【手探り状態】で【親を務(つと)める】事になる。

こうした時に、昔の大家族なら、親であったり祖父母であったりが「どらどら、そんな時にはこうしてやればいいんじゃよ」といった感じで手助けもしてもらえたものだけれど、今は、そうやすやすとはこんな感じにはならない。
悩みに悩んでの子育てでは不安に感じられる事も多いだろうと推測される。

しかしながら、最近の【我が子を殺して平気な20代を中心にした親のニュースを見ると、子育てに対する不安なんか知ったこっちゃねぇよ】みたいな子が増えてきてるのかなぁ?とか思ってしまう。
そんな世の中だけど、両極端に分かれてしまうから、今のご時世でも深く考え過ぎてしまって、誰に相談すればいいのかさえもわからずに、一人ですべてを抱え込んでしまって、不幸を自ら招いてしまう子だっている。
世の中って、難しい。

いずれにしても、大家族というものの存在がテレビアニメの中の【サザエさん】くらいしかなくなっているのは確かだ。
大家族という程のものではないにしろ、祖父母に両親、その子達が一つ屋根の下に暮らしていくから、言葉も多く知る事になるし、世間の一般常識も受け継がれていく。
していい事といけない事の線引きというものはしっかりとできていたろうな?とは思う。

私が子供の頃のサザエさんは、カツオが悪さをしたら遠慮なくゲンコツで殴っていた。
と言っても、ちゃんと加減はしているよ。
どのくらいの力加減で殴れば、反省するのか。というのは自分もされていたからわかっている。
いつからか【体罰禁止】というものが【法制化】された。
これを決めた人というのは、何も解っていないただの事なかれ主義者だったんだろうな。

そうして【体罰を受けた経験のない】世代が、今の教育現場の主力選手、つまりは教師になっているのだから、最近テレビのニュースでも流れていた、思いっきりの力で【ケツを蹴飛ばしたり】他にも【お腹】を殴る蹴る。
今の子はバカな教育評論家というものと、単に自分の面子の為だけに学校に怒鳴り込んでくる【モンスターペアレンツ】というものによって、搔き回された挙句の、ある意味被害者と言っていい。

なので、基本的に我慢が出来ない。
で、カッとなって殴る蹴るをしてしまうから加減が出来ない。
というか、そもそもどのくらいで行えば事足りるのかを知りようがないまま大人になってしまった。
人間というものは【経験】していないと何もわからない。
今、一番可哀想なのは、そうした教師たちに教えてもらっている子供たちかもしれない。