ヒロリン雑学ブログ

時事ネタや歴史、漫画アニメネタの雑学ブログです。

人類は淘汰されるべき生物なのか?

人類は淘汰(とうた)されるべき生物なのか?

いろいろと考えてみた

今、毎日のように流れているニュースを見ていると、割と古くからの事が現代の問題の【種】になっている気がしてきた。
高齢者の【交通事故(危険運転?)】の問題なんかもそうだ。

と言いながらも、ここに書いている事は私の個人的な考えなので、適当に読んでもらえれば幸いだす。

目の前の現象だけに目を奪われていては、捉われていては、いけないと思うのは、かなり前からの【クセ】なので、そうした【視点】で書くます。

高齢者が、アクセルとブレーキを踏み間違えるなどが原因で、起きた事故。
問題はいっぱいある。
まず初めに、自動車が普及し始めた頃には80歳を超えた【老人】が、車を運転するとは誰も思っていなかった筈だ。
私が10歳の頃に親戚のおじさんが、自動車会社の生産ラインで働いていたから、一般よりも少し早く【天引き(てんびき)】というシステムで【自動車】を購入した。
それでも【軽自動車】だった。

そして、その当時の平均寿命は、多分70歳前後くらい…だと思う。
だから60歳になると【還暦(かんれき)】という、長生きしたね。というお祝いの行事がある。
赤いちゃんちゃんこを着て、お座布団に座らされて、お酒を飲んでのどんちゃん騒ぎだ。
取り敢えずは「長生き、おめでとう」という【お祝い】になる。

ところが今は、60歳というと【定年退職】の年齢だ。
現役バリバリの、まだ【高齢者5年前】の人という事になる。
昔は70歳を過ぎて亡くなると、「大往生(だいおうじょう)だね」と言われた。
つまり、もう思い残す事もないくらい、生きたでしょう。と思われていた。
ところが現代では「60.70鼻たれ小僧、80歳からこそ生きる事を楽しもう」という威勢のいい高齢者が沢山いる。

だから80歳を超えていても、車の運転をする。
そして認知能力の低下や注意力不足によって【交通事故】が起きている。

これが、表面上の問題なんだが、いくら運転をアシストする装置を付けたとしても、装置には限界がある。
アホくらい沢山のセンサーを付けたとしても、イレギュラーな行動をしてしまうのが人間だし、設計者の想像もしていないような【運転中の行為】があれば、それは容易く(たやすく)破綻(はたん)する。
つまり、どんなに複雑な回路を作って、安全性に気を付けていても、所詮は人の作ったものだから、いつかは、どこかで【不具合】が出てしまう。

先日の携帯会社の設備トラブルにしても、アップグレードしている途中の不具合で、全く使えない状況が長く続いた。
大臣は、その携帯会社に対して【威圧的に怒って】いたけど、この大臣は実は【実務】を知らない。という事を自ら露呈(ろてい)していた。
そして、それを恥だとも知らないで威張り散らしているだけの無能者だと思った。

実は私も、先に紹介した親戚のおじさんと同じ自動車会社で、のちに働く事になる。
私が働き始めてから、徐々に【自動化】というものが進み、現場に【ロボット】が導入され始めた。
このロボットが【曲者(くせもの)】なのだった。

確かにね、何の問題もなく、動いてくれている分にはロボットの方が作業効率は良い。
しかし、何かのトラブルで止まってしまうと、よほど人力の方が【確かだ】と感じざるを得ない。

ロボットが止まっても、マニュアルを見れば簡単に復旧できるでしょ?
と思った貴方は甘い。
実際問題、何度も何度も見てきたのは、ロボットが止まった時に、最初の内は【復旧要員】として、ロボットを制作し据え付けた製作会社の社員が何人も常駐してくれているんだが…。

皆が首を捻(ひね)っている。
「え?何?なんであんなところで止まってるの?」
「えっと、どういうエラーが出てる?」
「あそこではエラーは出るはずないでしょ?」

つまりは作った側の人間にもわからない【不測の事態】でラインが止まる。
そういうのを何度も経験してくると【所詮は人の作ったもんだよなぁ】という気持ちが強くなってくるのでありました。